2015年7月31日金曜日

ダンディズム

人生は、突然始まるキャッチボールのようなものさ。
いきなりボールが飛んできて、
その反応が、人格を全て表すんだ。
四元壯



想定外の出来事
事故は、突然起きる。
事故は、考えもしなかった形で起きる。


人生の、多くの出来事は、
そういう意味では、
全て事故のようなものだ。


喜びも、悲しみも、
全て突然。


反射的に取る行動が、その人の本当の姿
そういう、突然の出来事にあったとき、
どういう反応をするかで、
その人の本当の姿が見える。


何も、
交通事故や、
身近な人の死や、
大好きな人に振られたり、
会社を突然クビになるようなことばかりでなく、


政治の動きとか、
そういうのに対する反応でも、
その人のことがわかる。


別に、何が正解ということはない。


ただ、
いつも参考書を持って、戦えるわけではない。
つまり、
全てにおいて、
突然なんだ。


そういうときに、
堂々としてられるか、
他人のせいにするか、
逃げるのか。


かっこ悪い男には、なりたくないと心から思う。


音楽をやっていると、
きっと多くの場面で、
心を大きく揺さぶられることがあるだろう。
事務所に入らないか。
そしたら、有名になれるぞ。
ただ、それには条件がある。
とか。
身近なことで言えば、
そんなこと、もうやめときなよ、
と言われてしまうとか。


でも、
そんな時こそ、
ダンディズムだ。


ダンディーに堂々と、
一緒に踊ってしまわせるような、
ミュージシャンでありたい。


ザ・チョコレートボックス
四元壯














2015年7月30日木曜日

歴史を知ること

人生は、ポッケに入れたチョコレートのようなものさ。
大切にしまい続けていると、いつの間にか溶けてしまって、食べることもできなくなってしまうのさ。
四元壯



必ずいる。歴史に詳しい人。

俺は、学生の頃から歴史が苦手だった。
大学受験は、世界史だったが、
最後の最後まで放置し続け、
本番では、前日くらいにたまたま熟読した中国史が中心の問題で、
運に助けられた、という出来事は覚えているが、


その時覚えていたはずの中国史は、
今は全く覚えていない・・・


歴史に詳しい人というのは、
必ず周りに一人はいる。


「だからあの時、武田はさ」


みたいな。
まるで、 中学の時の思い出と同じレイヤーで、
歴史を話せる人がいる。


そういう人は、本当にすごいなぁ、と思う。
単純に歴史がすごい好きで、
ということはわかるが、
やはり、「好き」か「好きじゃないか」というのは、
すごく大きな差なんだなぁ、と思う。


話と関係ないけど、俺が歌った「わたがし」

歴史を知る人、知らぬ人

俺の尊敬しているホリエモンこと堀江さんも、
おそらく歴史に詳しい人だと思う。


堀江さんのメルマガの、Q&Aコーナーでの一節
読者: 今の金融システムはクラッシュして、ゴールドの時代が来て、今の1000倍くらいにはなる時がいずれ来るそうですが、堀江さん、どう思いますでしょうか?

堀江: ありえない。クラッシュしてもすぐに元に戻ります。
この確信に満ちた一言が、
歴史を知っているか、知らないかの違いなのではないかと思う。


「歴史は繰り返す」
とは言われるが、
テストでいい点を取るような歴史の覚え方ではなく、
その事件が、
なぜ起きたのか、どうなったのか、
といったことを、おそらく構造的にちゃんと覚えている人には、
「あ、この流れは、あの時代のあれと一緒だな」
とわかるんじゃないかと思う。


モヘンジョダロ「死の丘」は、古代の核戦争が起きた証拠だと言われている

音楽もまた、
流行は繰り返される。
コンピューターミュージックが流行すれば、
今度は、
思いっきり、アナログな、生楽器なものが流行ったり。


俺ら、ザ・チョコレートボックスは、
歴史のどのあたりにいて、
世界はどこに向かっているのか。
流れにしっかり乗っかっていかなければと思う。


ザ・チョコレートボックス 四元壯






2015年7月29日水曜日

流行か?パクリか?

人生は、コピーロボットのようなものさ。
一見難しそうでも、ボタンひとつで、簡単にモノマネできてしまうんだ。
四元壯



悔しいけれど、思惑どおりになってしまうCM

まずは、これを見て欲しい。

いかがだろうか?
まさに、タイトルどおりの行動をとってしまわなかっただろうか?


これをはじめて見た時は、
「くそー!!!ひっかかった!!」という想いと、
「ひっかかっちまったぜーーー!!」という、ちょっと楽しい気持ちが入り混じっていた。


テクノロジーがこれまでにないくらい発展して、
誰でも、超簡単に、すごい映像を作れてしまう時代でも、
人の心理をついた、古典的手法で、
いくらでも面白い映像は作れるんだな、
と嬉しく思った。


では、これを見た時どう思いますか?

こちらはどうでしょうか?
いかがだろうか?
つい、白衣の人数を数えてしまったのではないだろうか?


俺は数えてしまった。
数えてしまったが、
今度は、
「ちくしょー!!ひっかかっちまったぜ!!」
という、ちょっと騙されて嬉しい感はなんだかなかった。


それは、おそらく、
「これ、あれのパクりやん」
という気持ちがあったからだと思う。


でも、
ネットの世界は時系列がバラバラだから(ネットに限らないか・・・)、
俺が最初に見た方が、
あとに発表されたものかもしれないけれど、
それでも、
俺は最初に、1本目の方を見ているから、
なんだかなぁ、
という気がどうしてもしてしまった。


流行ですか?ただのパクリですか?

世の中には、
全くの”オリジナル”なんてものは、
ほとんど存在しない。
世の中の、オリジナルと呼ばれているものだって、
本当は、元ネタがあったりするものだ。

だから、
”パクリ”と”パロディ”と”オマージュ”と、
どれも、別に悪いことではない。

だけど、
あたかも「どう?このCMすごいでしょ?はじめて見るでしょ?」みたいに、
自分がオリジン感を、しれっと出していたら、
それは、どうかなぁ、という感じがする。


流行だったら、
いろんなところでいろんな人がやっているから、まぁいいのかもしれないけれど。


音楽も、
パクリやオマージュやパロディや、
は難しい線引きだ。
でも、
きっと必ず、俺たちチョコレートボックスにはチョコレートボックスにしかできない
エッセンスがあるはずだから、
それをうまく、今までの音楽と融合させて、
独特のものを作っていけたらと思う。

ザ・チョコレートボックス 四元壯







2015年7月28日火曜日

あるべき姿のあるべき姿

人生は、手直ししはじめた粘土細工のようなものさ。
ちょっと違うな、と思って手をいれはじめたら、
もうどこまでやればいいかわからくなるんだ。
四元壯



高校球児、一夜にして世界の人となる

本当に今という時代はすごい。
一夜にして、一人の野球少年が”世界の人”となった。


いわゆる「ヌンチャク君」と呼ばれる代打の少年らしいのだが、
このバッターボックスでのパフォーマンス(?)に、
ダルビッシュ有選手がツイッターで反応し、
一躍、世界中で動画が見られることとなった。


なんとその再生回数は、元動画だけで、
856万3228回!!(7/27時点)
パクリ動画や、パロディ動画を入れるとおそらく、
1000万再生は軽く越えているだろう。



そして、注意大好き高野連の登場

そして、やはり出ました。
高野連の「注意」。
まぁ、このバットさばきは、なかなかに危ないから、
しょうがないけれど、
とはいえ、高野連のコメントは、
「余計なパフォーマンスをするな、ということで、ガッツポーズも禁止しているぐらい」
とのこと。
「余計なパフォーマンスをするな」
って一体なんなんだろうか。
ガッツポーズは、パフォーマンスなのだろうか?
スポーツは勝負の世界で、
状況が切迫している時ほど、
うまくいったら、
衝動的にガッツポーズをしてしまうのは、パフォーマンスではなく、
自然な行動ではないのだろうか?
なぜ、
大人はこんなにも、形にはめたがるんだろうか。
「あるべき姿」を考える人の「あるべき姿」を考えるべきではないか。


一概に見るのではなく、しっかりとそのものを見る

きっと、規制や禁止をしないと、
真似するものが出てきたりして、収拾がつかなくなる、
という事情もあるのだろう。


だけど、その事象は、
本当に、世間(今はツイッターとかのSNS)やテレビで言われているようなものなのか、
見ていないで、「けしからん!」となっていることも多いような気がする。

一般論でくくるのは簡単だ。

「今時の若者は・・・」
「女って本当・・・」
「オヤジってさぁ〜・・・」


確かに、世代だったり、地域だったりで特徴はあるかもしれない。
だけど、
ひとつひとつ、ひとりひとりちゃんと見てみると、
やっぱりそう簡単にはくくれないことだらけだ。


決めつけてしまった方が「考えなくて楽」だから、
つい、そうしてしまうが、
ちゃんと、そのものをじっくり見る。
丁寧に生きる。
それを意識しないと、とんでもない大人になってしまうんじゃないかって思う。


ザ・チョコレートボックスの音楽も、
丁寧に、同じ「ラ」とう音にも、いろいろな表現があるってことを理解しながら、
グッドイナフなミュージックを奏でていけたらと思います。













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8月29日(土)お昼@下北沢daisy-bar
今回はお昼のライブ。ライブ後に、下北沢散歩もできますよ♫



2015年7月27日月曜日

クレーム社会と会田誠の作品撤去

人生は、目に見えない敵との戦いさ。
卑怯で臆病なやつほど、姿も見せずに人を攻撃してくるんだ。
四元壯



日本の”精神的”沈没はもう始まっている

多くの表現者を揺るがしているであろう出来事があった。
会田誠の作品が、観客からのクレームで、撤去される、という出来事だ。

このことについて書いた本人のtumblrが、撤去反対という声とともに拡散されている。


東京都現代美術館の「子供展」における会田家の作品撤去問題について 会田誠
http://m-aida.tumblr.com/post/124971450230/2015%E5%B9%B47%E6%9C%8825%E6%97%A5

クレームの件数は1件。
クレームの内容は、「子供展に相応しくない」。
ということらしいが、


「子供展に相応しくない」
というのは、誰の何基準なのだろうか?
この人の言いたいことを、ちゃんと翻訳してあげると、
「私が、子供に、見せたくない」
というだけのことではないのだろうか?
もしくは、
「私が、この作品を見たくない」
ということではないだろうか。


美術館に芸術を見にきて、
芸術にクレームをつける、というのは、
プロレスを見に行って、
殴り合っているのが不快だからやめろ、
と言うようなものではないのだろうか?


芸術を見る人の、
心構えや教養、そして度量が完全に欠如してしまっている。


しかし、これは一時が万事、氷山の一角だと思う。
日本はもう、こういう人間が増えきってしまっていると思う。


過去記事:規制ばっかりする今の日本。キセイの先にあるギセイ
http://thechocolateboxbitsweet.blogspot.jp/2015/07/blog-post_23.html
作品画像(大きいの見れます)http://mizuma-art.co.jp/aida_mot/Aida_Large.jpg


子どもをなめんな

「子供展にふさわしくない」=「子どもによくない」
ということだと思うが、
このクレームをつけてきた人は、
子どもをなめすぎだ。


子どもは、とても多くのことをわかっている。
とても多くのことを、よく見ている。
そして、大人よりも遥かに強い感受性で、色々なことを感じている。


それに、
子どもが、大人になる時は、人それぞれだ。
10才で大人になる子どももいれば、
40過ぎたって、大人の顔した子どもはいくらでもいる。


親として、大人として、あるべき姿は、
「親の考えに沿って、否定や肯定をする」のではなく、
「子ども自身で、物事の良し悪しを感じ考え、選択していく」ということ自体を、
肯定しなければいけないのではないか。
時として、子どもは、正しさを見失い、人殺しさえもしてしまう可能性だって、
なくはない。
でも、そんな明らかに可能性の低いことを考え、あらかじめ多くのことを規制し、抑圧することで、
むしろ、殺人者予備軍を生み出してしまっているのではないか、とすら思える。


食欲も性欲も、睡眠欲も、自己肯定欲も、そういう欲全てがあることを、
大人自身が認めて、子どもを信じるしかないのではないだろうか。


映画「おおかみこどもの雨と雪」の弟は、
中学生にして、突如、自分の生きるべき道を見つけ、ふるさとを旅立った。

素晴らしい芸術は、圧倒的な観察力とぶっとんだ想像力の先にある

そもそも、心を”ゾワッ”とさせない作品に、
芸術として価値なんか、ない。


難解すぎて、意味不明なものも多くあるが、
一般庶民が見て、”ハッピー””気持ちいい””かわいい〜”
なんて作品は、芸術ではない。


芸術で描かれる女には、
ふくよか(=デブ)で、
まぶたのきりっとした(=ひとえ)、
愛嬌のある(=ブサイクな)女も少なくない。


名画でも、決して美人ではない。
芸術は、その作品をつくった人の、
好奇心の結果であって、
それは、圧倒的な観察力と想像力の上に成り立っている。


芸術家は、間違いなく、
多く一般庶民とは、感覚が大きく異なるところがあるだろう。
例えば、
”性器”を忠実に再現する人がいる。
これは、
生命に対する不思議を探求する結果として、
生命の源である”性器”に好奇心がわいてしまった結果、
ということがある。
そこには、”エロ”という発想はおそらくクレームをつける人以上にないし、
教育的にも、真実を知らせる、という意味で悪いことだとは思っていないはずだ。


だから、
芸術を理解できない人は、
美術館を黙って立ち去るか、
自分の中で消化できるまで、
しっかりと自分自身と作品について対話するべきだと俺は思う。
シュルレアリスムとかこんなんですよ。

音楽もまた、クレームをつけられる芸術だ。
ミスチルの「名もなき詩」も、
「脳たりん」という歌詞がNHKではNGとなり、
違う歌詞で歌わされたりもした。


俺らザ・チョコレートボックスの作品は、
今のところ、過激なものはないけれど、
それは、
実のところ、俺自身がブレーキを踏んでいるような気がしなくもない。
聞く人のことを考えるべき、ということと、
芸術は、自分の中を、ありのままに、というこのバランスを
うまくとっていきたい。


ザ・チョコレートボックス
四元壯











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2015年7月26日日曜日

イルカ問題とナイトワンダーアクアリウム2015

人生は、泳ぎ続ける魚のようなものさ。
例え泳いでいる場所が、
狭い水槽だろうと、海だろうと、
誰かの価値観で生き場所を変えられる方が迷惑なんだ。
四元壯



イルカショーと捕鯨問題

新江ノ島水族館の「えのすい×チームラボ ナイトワンダーアクアリウム2015」に行ってきた。
アートとのコラボレーションで、
水族館に新しい”光”をもたらしていた。


参考:
「ナイトワンダーアクアリウム2015」新江ノ島水族館で開催!チームラボが贈る大水槽の幻想的な世界


光のアートで、魚の見え方が新しい





大盛況のイルカショー・・・しかし、近い将来は廃止に

そして、水族館と言えば、”イルカショー”。
30分前には、
全席が埋まってしまうほどの大盛況。


えのすいのイルカショーは、
内容自体は、それほどすごいものではないけれど、
それでも、
パフォーマンスをしてくれる人とイルカの、
ほっこりした感じは、
見ている人を楽しませていた。


しかし、このイルカショーも、
世界動物園水族館協会(WAZA)という世界の水族館のボスのようなところから、
日本のイルカ漁および、それで得たイルカを使ったショーの中止を言い渡してきた。

そして、さまざまな事情の果て、
結局、日本の水族館はそれを認めざるを得なくなってしまったのだ。

だから、日本の水族館は、
近い将来、イルカショーのない水族館になるのである。



跳ぶねぇ!
ショータイム終了後も、イルカを間近に見に行く人たち

「かわいそう」は誰目線で、どこからどこまでが正解なのか?

ちなみに、その協会いわく、
「イルカ漁が倫理に反する」
とのことで、日本は非難の対象にされているけれど、
「倫理に反する」というその倫理は一体誰が決めるのか?


「かわいそう」とか言うけれど、
それは一体誰目線で言っているのだろうか?
この世のありとあらゆるものの気持ちを、
この人たちは代弁できるのだろうか?


こういう人たちの主張するものは、
「イルカは、知性を持った動物だからかわいそう」
「イルカは、人に近い生き物だから、飼育するなんてかわいそう」
「イルカは、かわいいから、かわいそうだ」
こういうものがほとんどだ。


でも、ちょっと待てよ?


「知性を持っている」の知性ってなに?
「人に近い生き物」ってじゃあ、犬や猫は飼ってないのね?
「かわいそうだから」ってそれ、完全に主観じゃないですか!


と、誰にでも出来るツッコミを入れたくなる主張ばかりなのである。


「動物が、かわいそう」
というのは、もちろんわかる。
俺も、ペットショップのケースに入れられた犬を見ていると、
人間はまだまだ未熟だなぁ・・・
と思ったりする。



でも、結局「かわいそう」とか言う感情自体は、
主観以外の何者でもなくて、
その「かわいそう」を矛盾なく、全てのものに平等に感じるのなら、


じゃあ同じ動物でも、
牛、鳥、豚も、
食べられるのはかわいそうだよね?


生物というくくりでするなら、
貧しくて、学校にも行けない、食べるものもロクにない子どもも、
かわいそうだよね?


となってくると思う。
だから、そういう人に俺が思うのは、
「かわいそう」と思う気持ちは素晴らしいけれど、


張本人の気持ちも聞かずに、
自分たちの思っていることを、そのモノにも当てはめて、
勝手な行動をするんじゃねぇ!

ということだ。


だって、もしかしたら、
飼育係のお兄さんと、無理矢理別れさせられる方が、
イルカは”悲しい”かもしれない。
だから、
自分たちが素晴らしい考えや思想を持っている、と自負するのはかまわないから、
他のものも、そう思っているとは安易には思わないでくれ、
と思う。




それにしても、
クラゲが、キレイだった。
クラゲは、まったりしていた。
クラゲは、のびたり縮んだりしていた。


「海月」と書いて「クラゲ」と読む。
きっと暗い海を、優しく照らしているんだろう。


俺らザ・チョコレートボックスも、
人々の心を、優しく照らす音楽を、
奏でていきたいと思う。



ザ・チョコレートボックス
四元壯













人身事故

人生は、コントロールの効かない満員電車のようなものさ。
立ち往生して閉じこめられても何にも出来ないのさ。
四元壯



依存は、それを失った時にしかわからないし、わかった時には手遅れだ

昨日は、電車で散々な1日だった。


永田町→半蔵門線人身事故でストップ。振替の銀座線も人身事故で遅延。
渋谷→田園都市線の人身事故で、駅もバス停もタクシー乗り場も人で溢れかえる。


こういう自体になった時、
都会に住んでる自分たちは、
いかに電車という交通機関に依存しているかがわかる。


3.11の時、俺は東京に住んでいなかったから、実感がないが、
またそういう自体になった時に、
「よし!歩くか!」
と、潔く言える男でありたいと思う。


電車が止まると、渋谷はカオス。1日の乗降者数は315万人と、茨城県の人口290万人より多い。

怒る人怒らない人

ところで、こういう風に電車が動かなくなった時、
駅員さんを怒鳴りつける人が必ずいるのだけれど、
彼は一体何様なのだろうか。


「お客さまは神様です」
という考えは、もうとっくに時代遅れの考えだ。
利用者も提供者も、人として対等な存在ということを、まだ知らないのだろうか。


こういう時に怒る人は、
怒ることで、電車が復旧するとでも思っているのだろうか?
それとも、日頃からたまっている社会に対する怒りを、彼にぶつけているのだろうか?反骨心?


とにかく言えることは、
落ちてしまったのか、飛び込んでしまったのかわからないが、
人が電車に轢かれて、
電車が止まってしまったのは、
別の駅にいる駅員さんのせいではないし、
そんなことも想像出来ない想像力しか、
おっさんにはない、ということだろう。
(なぜか、おっさんと決めつけている)





「バカヤロー」を言うならば、「ありがとう」もちゃんと言おうぜ

こういう、”わかりやすい”問題があった時には、
文句を言うならば、
普段、
してもらって当たり前だと思っていることにも、
少しは目を向けて、
店員さんが気配ってくれたこととかに気付くようにして、
「ありがとう」って言葉もちゃんと言えるようにしたいですよね。



チョコレートボックスも、
音楽をやれること、
音楽を聞いてくれる人がいること
音楽を出来る場所(ライブハウスがあることとか)があることに、
感謝を忘れずに、活動していきたいと思います。



ザ・チョコレートボックス 四元壯










2015年7月24日金曜日

(約)1ヶ月連続ブログ更新記念!

人生は、海に浮かぶ大型船のようなものさ。
動きはじめは、とても重く、ゆっくりとしか進まないが、
進みはじめると、どこまでもいける。どれだけでも、夢をのせられるんだ。
四元壯


今日は(だいたい)ブログを毎日更新しはじめて1ヶ月

そろそろ、ブログに書くネタがないかも・・・
そう思って、過去のものを見返してみると、
なんとブログを毎日更新すると決めてから、
一ヶ月以上が経っていました。


何事も3日坊主な自分が、
反響もなく、お金にもならず、そして誰にも褒められないこのミッションを、
なぜ、続けることが出来たのでしょうか。
まったくもって不明です。
不明ですが、これからも続けていきますので、
ぜひ、ちら見してくれてる方は、
コメントとか残してくれると嬉しいです。


読まれた記事ランキング

なんか、今日は突如として軽いノリで書いておりますが、
そんなことは気にせず、人気記事ランキングを発表したいと思います。


1位:技術の進歩で変わる、音楽の聴き方
http://thechocolateboxbitsweet.blogspot.jp/2015/07/blog-post_8.html
更新日:7月8日
PV数:58(7/24時点)
技術の進歩は、人間をも進化させる


2位:ロボット楽団
http://thechocolateboxbitsweet.blogspot.jp/2015/07/blog-post_1.html
更新日:7月1日
PV数:57(7/24時点)
ロボット楽団は、人の心を打つか?


3位:進化する日々
http://thechocolateboxbitsweet.blogspot.jp/2015/06/blog-post_94.html
更新日:6月26日
PV数:40(7/24時点)
練習は、祈りのようなもの。毎日しないとね。


僕がこのブログを書いているのは、
PV数を稼ぐ為ではなく、
the chocolate boxというバンドがいて、
そのボーカルの四元という奴が、
こういう時代の中、こういうことを考えて、音楽を作ってるんだな。
じゃあ、一回くらいライブ見に行ってみるか。

そう思ってもらえたら、という気持ちで書いています。


とはいえ、
そんなのは、俺自身の勝手な気持ちなので、はっきり言って、
読んでくれた人にしてみたら、そんなことはドーデモイイことだと思んです。


人生は有限。
5分なんてあっという間に過ぎてしまいます。


そんな中、読んでくれた方は、
大げさでなく、
自分の命を削って、その1分、2分をこのブログを読むことに、
あててくれていると思うのです。


だから、これからも、
更新を目的とするのではなく、
読んでくれた方が、
「なるほどね」という情報がひとつでもあるように
「そうだよな」と忘れていた何かを思い出し、明日から頑張れるように
そんなブログとして、
書いていけたらと思います。


これからもよろしくお願いします。


ザ・チョコレートボックス
四元壯





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2015年7月23日木曜日

キセイの先にあるギセイ


人生は、鳥かごの中の鳥のようなものさ。
一度屋根にあたって、諦めるやつもいれば、
空を目指し、ふと開いたフタをすり抜けていくやつもいる。
四元壯



気に入らないものは、全て規制します

成熟し、腐りゆく国というのはこういうものなのかもしれない。
  • ドローン首相官邸落下&少年操作誤る→規制
  • 逗子海岸 治安悪化→音楽、砂浜での飲酒禁止
  • ストリートミュージシャン→道路交通法により禁止
とりあえず、
なんか気に入らなければ禁止。
としか見えないような規制×規制の嵐。

日本は、どんどんつまらない国になっていく。

個別で見ていけば、
それは確かに、どちらの言い分もあるだろう。

海は、チャラい兄ちゃんたちが、
タトゥー見せびらかしながら、みさかいなくナンパしてたんだろうし、
近所の人は、音楽がうるさかったんだろうし。


でもね、
権力を持った人たち、
そして、すぐに苦情を言う大人たちよ、
考えてみておくれ。


なんでも規制して、
その先にあるのは、
自分たちの貧しさ」だよ?

「公園自体立ち入り禁止」の日も近い

「何かすれば、怒られる。禁止される。」思考の子どもたち

日本は、GDPは3位の経済的には”豊か”な国かもしれない。
でも、上の画像のように、
公園でも、禁止が跋扈している。


サッカー禁止。大声禁止。犬の散歩禁止。花火禁止。


逆に、
サッカーをしない子ども。
野球をしない子ども。
大声を出さない子ども。
犬とはコンクリの道路しか散歩しない。
花火は、公園でも近所でも出来ず、やるときはビクビクしながらする子ども。


子どもたちが、こういう生き方しか出来ない国、
本当に「いい国」だと思いますか?
本当に「豊か」だと思いますか?


最新の技術に興味があるのに、ドローンを飛ばせない青年。
音楽はイヤホンだけで、体で音楽を感じられない、皆と楽しむ一体感を得られない若者。
表現は、ノルマを支払うライブハウスやダンススタジオでしか出来ない表現者のたまご。


若者たちが、こんな生き方しか出来ない国で、
文化育つと思いますか?
官僚が推進する教育で、天才が生まれると思いますか?



規制するのは、大人には簡単。
禁止するのは、大人には簡単。


でも、それでは、何も解決してないんだよ。
それに、そもそも”解決する必要なんてない”問題を作りすぎなんだよ。


こんなことしか出来ない警察も、ある意味哀れ。

子どもたちよ、若い人たちよ、表現者たちよ、
みんな、
人の価値観や禁止になんかとらわれず、
とんでもないもの作っていこうぜ!


そんな気持ちで、今日も音楽をやっています!
チョコレートボックス 四元壯。














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2015年7月22日水曜日

火花じゃなくて、花火だよ


人生は、打ち上げ花火のようなものさ。
やっと調子が出てきて、頂点まで行っても、
一瞬でその時は終わってしまうのさ。
四元壯



今さらですが、ピース又吉、芥川賞受賞ですね

ピース又吉の芥川賞受賞、なぜだかすごく嬉しいです。
受賞作品「火花」は、まだ読んでいませんが、
ミーハーなので、近々手を出したいと思います。


でも、このタイミングで電車で、表紙を丸出しで読む勇者はなかなかいないんじゃないかなぁ。と思います。
こんな時、スマホで読める電子ブックは、やっぱり便利ですね。
僕は断然、紙派ですが、
時々電子書籍も読みます。持ち運ぶのに便利だから。


ピースのお笑い自体は、
僕は全然見ないのですが、
個人的には、
「すごく本が好き」「独特の雰囲気がある」
という又吉がちょっと好きでした。


だから、なぜだか、
今回の受賞はすごく嬉しいのです。



これを見て、又吉に尊敬を覚えました。


又吉の芥川賞受賞は、裾野を広げる。出会いをもたらす。

そして、又吉さんが本当にステキな人だなぁ、
と思うのは、受賞した時のコメント

「面白い小説がたくさんあるし、好き嫌いがあるから、僕の作品を読んで合わなかったから小説読むのやめよう、となった責任はみんなでなんとかしていきたい。 僕でジャッジしないでほしい(笑)。100冊読んだら絶対に本が好きになると思う。2、3冊はわからないかもしれないけれど、100冊までがんばってもら いたい。」

この、本を読んでもらいたい、本を好きになってもらいたい、
という想いが、滲み出ているところに、人柄を感じる。


この又吉さんの受賞で、
本を読む人は、きっと少しは増えると思う。
少なからず、本を手にとる人は増えると思う。


又吉の受賞をきっかけに「本を読む」「本を手に取る人」は、
「下手すれば、一生本を読まなかったかもしれない人」
の可能性もある。
すごく大げさかもしれないが。


だからこそ、又吉さんの受賞というのは、
すごいことだと思う。


一生本を読まなかった人、というのは、
おそらく自民党が「国民 皆読書法案」を強行採決しても、
TOYOTAのCMみたいに超素敵なCMで「読書は、愛だ」とか言っても、
おそらく読まないだろう人たちだ。
(偏差値とかではなく)


安倍首相「今日から読書しないものは、死刑に処する」と言われてもムリ!

そして、
そういう人たちが、本という 新しい世界に踏み入れることで、
新しい世界が開ける、ということを、
又吉さんは伝えたいんだと思う。
と、俺は勝手に思っている。


俺は、わりと本が好きな方だと思うけれど、
俺にとっては、本は、自分が考えることを助けてくれる存在だと思っている。
「我輩は、猫である」ー「んなわけあるかい!」
といった具合だろうか。


又吉さんも、
きっと”苦労”もされてきたんだろう。
でも、
それ以上に、俺が又吉さんに感じるのは、
「自分が好きなものを、ひたすら大切にする」
という姿勢が見られるからだと思う。


俺ら、チョコボも、
「いや、ただ音楽が好きなだけなんですよ。はは。」
というようなミュージシャンになれたらいいな。


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<ライブ情報>
8月29日(土)お昼@下北沢daisy-bar
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2015年7月21日火曜日

相対的理論

人生は、まるで地球そのものさ。
回り続けて、変わり続けて。
それでもまだ、生き続けないといけないのさ。
四元壯




相対的vs絶対的
こないだディズニーの話を書いたけれど、今回もその関連で、


オシャレって、
絶対的なものじゃないんだな、
と(今さらながら)気付いた。


どういう事かというと、

ディズニーでは、
みんなディズニー関連の服を取り入れたオシャレをしている人が沢山いる。
それも、友達みんなでおそろいにしたりして。


Twitterで人気のなおぴーも、おそろいコーデ


そのコーディネートで、めいいっぱいディズニーを楽しんでいる人たちは、
それはそれはとても楽しそうで、見ているこっちも、「おぉ!」とか「かわいいねぇ」とか、楽しくなってくる。


でも、だ!


ディズニーのシャツは、
単体で見ると、決してオシャレではないのだ!


だから、
このシャツを、
例え読者モデルのかわいい女の子が、渋谷とか街中で着ていても、
オシャレだとは思わないはずだ。

仮に、かわいい子が5人くらいで、
おそろいで渋谷を歩いていてもそうだろうし、
大学生の男の子が集団で着ていても、
一瞬は微笑ましくはなるかもしれないが、
みんなが真似するオシャレな現象としては見ないだろう。



だから、
このオシャレは、
ディズニーランドという空間においてのみ許される"相対的な"オシャレなんだと思う。


おっさんのスカート、許せますか?
ディズニーのオシャレは、
"空間的"な相対性だったけど、
今度は、
"時間"という観点からも、
オシャレを見てみたいと思う。


最近、巷で話題のセーラー服おじさん(名前知らん)。


この写真はヤバいけど、犯罪抑止力は高いね。


男のスカートは、そっち系の人はともかく、
普通は許されないことだろう。
ましてや、こんなおっちゃんが着たら、もう即逮捕なくらいだ。


でも、実は、
セーラー服おじさんは、もう何百年前前から存在していた。

その証拠が、これだ。
中世ヨーロッパのファッション


どうだ、このドヤ顔!
今だったら、
多少なりとも、恥ずかしくなるはずなのに、
この自信満々の表情、ポーズ!
見事です。


中世のヨーロッパでは、当たり前にスカートやキュロットなどをはいていたんですね。


だから、結局オシャレなんてのは、
"時間"によって、
尺度が変わるんだ。



音楽も、
4つ打ちが流行ったり、
民族楽器を入れたりするのが流行ったり、
色々と"今ドキのオシャレ"な音は移り変わるが、
その中でも、
ずっと変わらず、人の心を打つものが、
必ずある。


いっときの流行に流されず、
自分たちが、聞いてくれる人のことだけを考えて、
時代を越える音楽を作りたいものです。


四元壯