2015年9月30日水曜日

環境は大事、という話

人生は、アマゾン地帯ようなものさ。
熱帯雨林で湿気ていても、それがいい場所か悪い場所かを決めるのは、自分次第なんだ。
the chocolate box四元壯



環境の変化に伴う、心境の変化

人は、環境に左右される生き物だ。


このことは、俺がわりと好きで読んでいた自己啓発の本数冊にも、
異口同音で書かれていたことだ。


自分の将来を当てる一つの方法。
それは、
自分の周りにいる人たち5人くらいを書いてみることだ、と。


自分の周りにいる人たちが、
現在、あるいは数年後の自分の姿だ。

だから、
自分がなりたいものがあるなら、
自分がなりたいと思う人の近くに行け。
というのは、
よく聞くことだ。



ところで、
8月から、今の会社での環境が大きく変わった。


そこで、感じたのは、
環境は、心境に直結するな、ということだった。



環境の変化で、同じ電車同じ町も違って見える

今の部署になって、
若干いや、むしろ図々しいくらいの毎日を送らせてもらっている。


そんな毎日を過ごしていて感じるのは、
「自由にしている時こそ、結果・責任が伴う」
ということだ。


ただ、
そのその「自由に伴う責任・結果」を全うする気持ちさえあれば、
毎日、すごく一所懸命に生きられる。


だから、
何をしろ、と言われるよりも、
こういう目標を達成したい。
どうしたらいいと思う?

くらいに言われた方が、俺の場合はしっくりくる。


たった1,2ヶ月。
されど思うのは、環境というのは本当にすごく大事なんだな、
ということ。



俺のスマイルが世界を変える

そんなリトルハッピィな日々を過ごしていて、
実は気づいたことがある。


それは、
自分が自然体で、爽やかで、一所懸命であるほど、
周りの人にも、
いい空気が伝播して行くんだな、と。


今までは、若干きつい日々を送っていたので、
自分が耐えるだけで精一杯だったけれど、

考えてみたら、


俺の目の前の席の人、
斜め前の席の、仲いい人たちは、
毎朝、7時間くらいは俺の顔を見ているわけだ。


だから、俺が、
不機嫌な顔で毎日過ごしていたら、
きっと前の人も、
不機嫌な気持ちが伝播するだろう。


だけど、
毎日、ナチュラル爽やかな笑顔で俺が座っていたら、
おそらく、若干その人もハッピィになるだろう。



今までは、
自分の環境がつらい、ということしか考えてこれなかったが、
自分の身近な人に、
俺という存在がいてよかった、
と思ってもらえるような、環境づくりを、
職場でも、自分が住んでるところでも出来たらいいぁ、と思います。







音楽も、ものすごく環境が大切です。
へたっぴな人とよりも、
超上手い人とやると、あっという間に成長します。


だから、the chocolate boxは、
お互いを鼓舞し合いながら、
前に進んでいきたいと思います。


ザ・チョコレートボックス 四元壯



















2015年9月29日火曜日

他人への優しさは、自分の人生の満足度に比例する

人生は、お腹を満たした犬のようなものさ。
自分がほどよくお腹を満たしていれば、他のものにだって優しくなれるんだ。
四元壯




マタニティウーマンに席を譲らないNo.1は”おっさん”

俺は、自慢じゃないが、かなりの確率で、
電車では席を譲るし、エスカレーターのない階段では、
ベビーカーを運ぶのを手伝う優しい男、通称ヤサメンだ。



4行目にして話がそれるが、
俺は学習院大学という、大学に受かった。
早慶を目指していたので、偏差値的にはそれほど高くはないが、
高校中退だった自分からすれば、
かなりミラクルな、良い大学に受かったと思っている。


高校中退だった俺が、学習院大学という大学に入れた理由は、
英語を毎日10時間近く頑張ったからでもなく、
本番の前日に読んだ中国史が、試験に出て結構解けたからでもなく、


”受験生時代に、東武東上線で、ベビーカーを3度ほど運び、2度ほどばぁちゃんに席を譲ったから”だと、本気で思っている。



だから、
もしも俺が受験生にアドバイスを求められたら、即答で
「年配に席を譲ったり、ママさんの手助けをしてあげなされ」
と言います。むしろ言ったことあります。ふざけんな、という顔されましたけど。笑



と、まぁ、4行目から脱線したわけですが、
なぜここまで脱線したのかと言いますと、


四元統計によると、
「電車で、妊婦さんに席を譲らないタイプNo.1は”おっさん”」
ということを言いたいが為でした。



なぜ、おっさんは妊婦さんに席を譲らないのか?

おっさん、というのはまぎれもなく、
企業につとめるそこそこ地位のあるサラリーマンのことをさします。


会社という組織の中では、
人に対して指導をするくらいの立場であるおっさんが、
なぜ、
妊婦という、あきらかに、体力的にキツい人間に席を譲らないのか。


なぜでしょう?
読んでくれているあなた、なぜだと思いますか?


俺は、
「自分の人生に満足していないから」
というこの一点につきると思います。


Google的おっさん像



仕事以外の時間が、自分の人生を決める 

ちなみに、「席を譲らない率No.1がおっさん」という根拠は、
僕の周りの、現役妊婦や元妊婦さんの話にもとづいており、
N数で言えば、5くらいだとは思います。


しかし、それでも立派に、世間の統計として見れるのではないかと思っています。


席を譲らないことで、何が起きるか。
何も起きません。
起きないけど、妊婦さんはがっかりします。
そのおっさんにも、そのまわりの人たちにも。

でも、
席を譲ったら何が起きるか。

譲った本人は、
なんとなく満たされます。同じくらい照れくさくて、ちょっとやり場がなくなります。
そして、周りの人も、
あのおっさんいい人だな、とほっこりします。
さらに妊婦さん。
1、2駅でない限り、おそらくありがとうございます。
って思います。
自分が座れる楽さに、ではなく、
譲ってくれた行為そのものに。




大人になればなるほど、
仕事以外では、本気を出さなくなる気がします。
多くの人は。


俺自身、ホテルで働いていたけれど、
ホテルで働いている時間は、サービスについて一所懸命でも、
仕事以外の時間は、サービスされるのが当たり前、くらいに思ったりしました。

仕事の時は出来る、クライアント、目の前のお客さまへの対応、
すごく丁寧で、気の利いている人でも、
プライベートではちょっと疲れてしまい、
店員さんに、冷たい感じの人もいます。


でも、人生って、
仕事の時間だけじゃないし、
仕事だけしていればいいもんじゃない。



仕事以外の時間、自分がどれだけ、
自分に満足できるか。


何かしらの理由で、やりもしないで諦めて、
何かのせいにして、腐って、それで他人にも優しくなれない。
そんな人生、絶対かっこわるいでしょう?


だから、
満足できる人生を生きよう。
俺は、生きたいです。



自分に満足してれば、
ちょっとやそっとの疲れ、きっとたいしたことなくて、
武井壮ばりの瞬発力で、
ママに席を譲れるはず。


人生、何を得たか、も大事だけど、
何をしたか、しようとしたか、だけでも満足するんじゃないかって思う。


がんばって、楽しんで、優しく生きたいよね。


the chocolate box四元壯













2015年9月28日月曜日

「十分な説明とはどういう状態か」に対する説明が十分でない/ザ・チョコレートボックス四元

人生は、学園祭のもぐらたたきのようなものさ。
もぐらをどれだけ叩いたってしょせんは、仲間内での叩き合いなんだ。
四元壯



ここ最近の政治熱

俺は、けっこう政治について議論させてたら、
鬱陶しいタイプの人間だ。

だからこそ、あまり飲みの場とかでは政治の話は、
深くは話さないように注意している。

そして、ブログでもあまり政治の話は触れてこなかったのだけれど、
世の中の政治熱が、ピークを過ぎ、ひと段落してきたようなので、
今日は少し触れてみたいと思う。


ちなみに、俺の政治の話好きレベルは、
知人が開催してくれた市議会議員の人との交流会に、
自腹を払って行くくらいのレベルだ。
(それが、どれくらいのレベルと思うかである意味、あなたの政治関心度がわかるかもしれない)

船橋の市議会議員"石川りょう"さん。
前列左から2番目のイケメン。抱かれたいです。

デモ参加者「3万人」は多いか少ないか

安保法案が可決するまでの数週間は、
国会前に3万人という人が集まった日もあるという。

3万人という数字を多いととるか少ないと取るかは、
切り取り方の違いだと思う。

例えば、
今、俺らザ・チョコレートボックスが直近で目指している数字的な目標では、
自分たちのCDを3万枚(ダウンロード)広めたいと思っている。
つまり、3万という数字は、
今の自分たちには、”とても大きな(そして魅力的)”数字なのである。

ただ、
このデモが向けられている”政治”という場に置いては、
国の問題=国民全体の問題、ということだ。
だから、
国民の数、もしくは投票者数の数を中心に考えないといけない。


そうすると、2014年の衆議院選挙時には、
有権者数は1億396万2784人、
投票率は52.66%だったので、
投票者数だけだとしても5474万3097人だ。
つまり、
5474万分の3万人で、0.0005%。


そういう意味で、この”3万人”というのは、
とても小さな数字(人数)だと言えるだろう。



よく聞いたセリフ「説明が不十分だ」

今回のこの”熱狂”の中で、多く聞こえたのが
「安倍シネ」以外には、
「説明が不十分だ!」という声だった。

揚げ足をとるわけではないけれど、
では、


「十分な説明とは、どういう状態か」をまずは説明しておくれ。


と思ってしまう。

俺が政治について考える時、
いつも胸にとめている言葉がある。


「政治家の質と、国民の質は大きく乖離しない」


という言葉だ。
誰が言ったか思い出せないけれど、その言葉は、
すごく本質を突いていると思う。

だから、
「日本の政治家はクソだから」
という人は、
イコール
「自分はクソだから」
と言っていることだと俺は思っている。
(だから時々、自分もクソになっている・・・)


つまり、
今の政治が超低レベルだとして、
だから国民のレベルも超低レベルだとする。

その低レベルたるゆえんは、
おそらく、

これだけ情報が溢れている時代に、
自ら情報を取りにいかないこと。

なのではないかと思う。


俺の考える十分な説明は、
・マスメディアでの説明
・公式サイトでの説明
これだけで十分だと思う。
(露出量もテレビならGRPというのでわかるし、雑誌新聞なら発行部数で数値的にはかれるはずだ)

むしろ、
・マスメディアでの説明
はなくてもいいくらいだ。


もし、公式サイトでの説明が不十分だとすれば、
それは、
直接、政党事務局に問い合わせるなり、
自分が支持した政治家に問い合わせるなり、
すればいい。


この公式サイトなんか、
調べようと思えば、
アクセス数から、
下手すれば、どこから誰がアクセスしてきたかさえも調べることができるはずだ。

だから、
「説明が不十分」
と言っている人が、まずは公式サイトに行ったのかどうか、
を調べてしまってもいいのでは、
とすら思ってしまう。


・・・・・うぅ・・・やっぱり熱くなりすぎてしまった・・・


というわけで、今日はこの辺にしておきます。


政治にしても、なんにしても、
いっときの熱狂で行動するのは意外と簡単なので、
継続することが何よりも重要だと思います。


ザ・チョコレートボックスも、
日々これ継続なりの精神で、
前に突き進んでいきたいと思います。


今日もブログを読んでいただき、
ありがとうございました。

the chocolate box 四元壯















2015年9月27日日曜日

3回目のザ・チョコレートボックスのライブ、ありがとうございました!

人生は、まるでチョコレートボックスのようなものさ。
あけてみるまで、何が起きるかわからない。
四元壯




3度目のライブ、無事終了!

今日は、ライブでした。
下北沢DaisyBarで、the chocolate boxの3度目のライブ。


いつも、ライブで言う


「人生は、まるでチョコレートボックスのようなものさ。
あけてみるまで、何が起きるかわからない」


という言葉は、
1度きりの結成のはずだったこのバンドに、
最初は、一期一会→映画フォレストガンプの邦題→じゃあ、フォレストガンプで!
となったところ、
調べていみたら、既にその名前のバンド名があり、
「うむむ・・・」
と考えていたら、この映画「フォレストガンプ」の中で、
主人公が
「人生は〜」
というセリフがあり、そこが由来なんです。




しかし、今日は、
まさにその言葉の通り、


あけてみて、はじめてわかった色々


があったライブでした。


新しい良いバンドとの出会いがあり、
自分たちを見て、いいと言ってくれた人と出会い、
そして、古くからの友人たちとライブで会い。


いい一日でした。


鳥貴族は満席だったので、鳥八に行きました。



次のライブは、11月28日(土)@六本木クラップスです。
そこで、the chocolate boxの初CDをお披露目します。

ぜひ、来てください!




今日共演したすごくいいバンド
Afloat Storage(通称:アフスト)



























2015年9月24日木曜日

【日記】バンド合宿に行ってきました

人生は、まるで風車のようなものさ。
羽の先を見ると、早すぎて目が回りそうになるけれど、
中心を見ると、ゆったりと全体を見つめることが出来るんだ。
四元壯



ブログを3日サボった理由

いつもブログを読んでくれている方がいましたら、
いつもありがとうございます。

そして、
今回は3日もブログをさぼってしまい、
さりげなく楽しみにしてくれているとしたら、
お待たせしてすみませんでした!


今回、3日もサボったその理由は、
バンドで合宿に行ってまいりました。


3日間のバンド合宿。


安心してください。二重あごでも、歓迎されますから。

バンドマンと言えば、
土日は早くても11時まで寝ている、夜型人間がほとんどですが、
今回は、
夜は12時過ぎには寝て、朝は7時に起きて、
8時~深夜0時までみっちり練習という日々を送ってきました。



あっという間、というより、
やるべきことがあると、
時間はいくらあっても足りないという事を、
痛いほど実感する3日間でした。



直近の目標は、9月ライブ、10月レコーディング、11月ライブ

なぜこんな合宿なんかしているのかと言うと、
俺たちザ・チョコレートボックスは、
本気で自分たちの音楽を多くの人に聞いてもらいたいと思っていて、
簡単に言うと、

「あー、曲は聞いたことないけど、そのバンド名は知ってる」
もしくは
「あー!この曲、このバンドなんだ!いい曲だよねー!」

と、誰もが、どこかで必ず触れたことのあるくらいを目指しています。


それを実現する為には、
バンドの実力の底力を高めないといけない、
と思い、
それで今回は合宿をしました。



今回の成果はまず、
9/26(もうしあさってに迫ってます)のライブ、
10月のレコーディング、
そして、11/28のライブで発揮されることでしょう。



やればやるほど、自分のアラが見えて、嫌になることも

合宿のように、
ひたすら音楽に向き合う時間をつくると、
成長の実感よりも、
自分たちに足りないところ、
プロの凄さ、
にあらためて気づきます。


そして、かなりヘコみます。


思い通りに、表現することが出来ない。
というよりも、
まず”思い通り”を思うことが出来ない。


「創造力とは想像力」みたいな、
うまいこと言った感の言葉をたまに耳にしますが、
しかし本当に、
”想像力”が何より大切だな、と思います。


コミュニケーションが下手で、うまく人に伝えることが出来ないとしても、
”想像出来ているもの”は、いずれ必ず、形になります。


でも、
”想像出来ていないもの”は、
どんなに、良い言葉を引用しようが、理屈で言おうが、
形になりません。


だから、生きていく上で、超重要なもののひとつは、
”想像力”だと思います。
(そしてそれを実現するパワーや、強い意志)


とりあえず手をつけることで見えるものもある

自分たちの力不足や、プロの凄さを実感して、
ヘコみはしますが、
でも、
もうひとつわかったことがあります。


それは、
「とりあえず手をつければ、何かしら見えてくるものがある」
ということでした。


今回は、最終的にデモ音源をレコーディングしたのですが、
最初の一曲目は、
足りない想像力で、


「あーでもない、こーでもない。こーしてみて。いや違う」
「何がしたいのかわかんない」


とか、そんな感じのやりとりもあったけれど、
とりあえず、
まずは全部録音してみよう!


となって、録音したところから、
少し、視界が開けました。


だから、
経験も知識も想像力も足りないうちは、
まずは、
ダメダメでもいいから、
形にすると、
これが良かった、悪かった、
こうしたかった、こうはしたくなかった、
というのが見えてくる、
というやり方がいいのかな、と思いました。


アーティストの情熱大陸とか見ると、
苦労も、あくまで番組最後の成功に持って行くための、
色づけにしか見えないけれど、
でも実際は、
プロの人も相当泥臭くやっているのではないかな、
と勝手に思いました。



早く、いい音源をみんなに聞いてもらいたいです。


そして、
少しでも、日常の中に、
the chocolate boxというバンドの音楽が存在する、
そんな風になるといいな、
と思っています。


the chocolate box四元壯


















2015年9月18日金曜日

聖職を取り戻そう

人生は、キッザニアみたいなものさ。
憧れていた仕事をする時に、胸を張って誇りを持つんだ。
四元壯



悲しいニュースが目立っている

埼玉県熊谷市で、ペルー人に6人が殺された。
その中には、2人の10歳に満たない子どももいた。


俺も、小学校2年生までは熊谷で育ったから、
今でもすごく愛着のある街だ。
そんなところでこういう事件が起きたのはとても悲しい。


ニュースにならないだけで、
ひどい事件なんか腐るほどあると思うけど、
小さな子どもを殺す事件だけは、
本当に許せないと思う。


子どもは、宝だ。
国にとっても、世界にとっても宝で、
子供と書いて、たから、とルビ振ってもいいくらい、
大切な存在だ。


また、大阪では集団で女性を襲う事件があり、
首謀者が警察2人だったそうだ。
仮に、どんなにだらしない女性だったとしても、
明らかに自分より弱いものを、集団でこういうことするのは、
同情の余地は一切ない。


ただ、このペルー人による殺人も、
大阪府警の事件も、警察の落ち度による事件だ。
きっともみ消しも含めると、警察による事件は相当数あると思われる。


警察も教師も、かつては聖職者と呼ばれていた

俺が子供の時にはもう既に死語ではあったと思うが、
昔、
教師は「聖職者」と呼ばれていた。


生徒だけでなく、親も、
「先生」といって尊敬をし、
先生が叱ったならば、
子供が悪いのだろう、というくらいの存在だった。


”聖職者”という言葉を調べてみると、
「人々を導く人」
と言う説明が出てくる。


ここでのポイントは、
「人」ではなく、「人々」というところだ。


聖職に就く人は、「人々」を導く存在でないといけない。
しかし、最近の警察はどうだろうか?
教師はどうだろうか?


ある意味で、率先して堕落していっているのが、
教師であり、警察である気がする。


それは、悲しくも、
豊かになっていった日本では、
「世の中の為に、自分はこの仕事をするんだ!」という使命感よりも、
「安定した生活を送る為に、自分は公務員を選ぶんだ。その中なら・・・教師かなぁ」というあくまで、世の中に数多くある選択肢の中から、”自分の”安定の為に、その職業を選択するという状況が生まれてしまったからだと思う。


俺も自分の生活の為に、
使命感もなく、やりたいこともMAXでやらない人生を送ってしまっているから、
彼らだけを責めることは出来ない。


今の日本に必要なのは、「ルール」よりも「美徳」

では、そんな世の中になってしまった今の日本で、
出来るだけ正しく生きていくにはどうしたらいいか?


それには、
「美徳」を持って生きるしかないと思う。
「美徳」とは何か?
「美しく」生きるとは何か?
それを一人一人が考えながら、実践しながら生きるしかないと思う。



今の日本には、ルールが多いし、
ルールが日に日に増えてきている。
不文律を含めたら、もう蜘蛛の巣の上で生きているようなものだ。


ルールというのは、
決まっていれば、ある意味楽だ。
それを破りさえしなければいいし、
破ったものを見つけたら、
「破った」というただそれだけの理由で、
責め立てる充分な理由になるから。


しかし、ルールというのは、
適用されている対象者、つまり俺ら市民に対して、
「信用していませんよ」という表明であり証明そのものでしかない。


だって、
ルールが決まっていなければ、
一人一人が、自分たちの価値観で、行動しなければならないし、
かつその価値観と行動が、他者にとってもある程度正しくなければならないから。


でも、今の日本では、
それは出来ない。
日本というか、東京だけかもしれないけれど。


電車での人々の振る舞いを見れば、
今の日本人がどういう人種なのかを見ることが出来る。
諸外国と比べると、マシかもしれない。
でも、
日本人は、日本人として美しくあるべきで、
他国とくらべてマシ程度ではダメなんだ。
(ちょっと右寄りの発言でました)


というわけで、今日はだいぶ長くなってしまいましたが、


ルールよりも美徳。
美徳があれば、聖職に就いている人々も、
その神聖さが戻って来るはず。


美しく誇り高く生きよう。
それが結局全ての人にとって良い世界に繋がるはずだ。



「女、子ども以外なら、誰でも殺す」逆にすると美徳が見える。「誰でも殺す。女、子ども以外はな」





















2015年9月17日木曜日

おにぎり日記(今日はゆるブログです)

人生は、おむすび山みたいなものさ。
高いところまで登ったと思ったら、コロコロ、コロコロ転がり落ちてしまうんだ。
四元壯



ボーカル四元が最近はまっているものは・・・

どうも。いつも読んでくれている人、いるとしたらありがとうございます。
今日は、ゆるブログということで、
ザ・チョコボのボーカル四元の最近のトレンドを紹介したいと思います。


最近の四元は、
おにぎり弁当にはまっております。


理由は、
・安い!
・味が安定している!
・みそ汁とあう!
からです。


サラリーマンのランチは、
近くにいろいろお店があるのはいいのですが、
しばらくすると、あまり開拓もせず、
同じところにばかり行くようになってしまうんですね。


そうすると、やっぱり味に飽きてきちゃうんです。
そのお店の味に飽き、
そして、外食の味自体に飽きてしまうのです。


だから、
自分で握ったおにぎりは、決しておいしくはないのですが、
飽きてしまったランチに安くないお金を払うよりはいいな、
と思うようになってくるんです。


もうひとつ、四元がはまっているものは・・・

そしてもうひとつ、真面目にはまっているものがあります。
それは、


バタフライボード

というホワイトボードなんですね。
知人が作ったアイテムなのですが、実は僕がコンセプトムービーを作るのに協力しまして、
まずはそちらをご覧ください。


いい編集と音楽ですね。笑


こういう感じで、強力なマグネットがついたホワイトボードが4枚になっているもので、
アイデアをまとめたりするのに、
本当に本当に便利なのです。


僕は考えごとをするとき、
こういうブログを書くときもですが、
ノートにマインドマップを使って、ばぁーーっと書き出します。

それが、このバタフライボードが来てから、
とても効率よくなったというか、
アイデアがまとまるようになりました。


ぜひ、みなさまもお試しください!


ーーーー
さて、
きたる9/26(土)。
もう1週間ほどですが、
ザ・チョコレートボックス、3回目のライブをやります。
@下北沢デイジーバーです。
andymoriもクリープハイプも竹原ピストルも立ったステージです。

ぜひ見に来てください。

ライブハウス、なかなかいいものです。
お待ちしています。


the chocolate box四元壯











2015年9月15日火曜日

適度に鈍感なくらいがちょうどいい

人生は、まるで麻酔をかけられた手術室のようなものさ。
目の前でなにやら起きているのだけど、ぼんやりとしか見えていないんだ。
ザ・チョコレートボックス 四元壯



培養肉を食べたいかー?!

東大の竹内昌治博士の「ERATO竹内バイオ融合プロジェクト研究」というところでは、
”細胞で三次元の組織や構造体を作る”ことを目指して研究をしている。

この”細胞で三次元の組織や構造体を作る”ということの一つとして、
”培養肉”を作っているらしい。


うしさんをころさなくてもいいのね。

これは、遺伝子組換とはまた違うのか、よくわからないのだけれど、
自分なりに考えてみると、
おそらくちょっと違うのだろう。

遺伝子組換・・・別の遺伝子と遺伝子を融合させて、新しい種を作る
培養・・・何かから採取した細胞を、増殖させる

ということだと思う。


で、気になる”培養肉の味”なのだが、
食感は「悪くない」らしい。
だから、最終的には、
その肉を食べたいか、食べたくないか、の選択だけだという。


食感が悪くない、
ということは、おそらく肉のハナマサあたりにならんでいる
プロ仕様の肉と同じような感じなのかもしれない。


俺は、肉のハナマサは結構好きだから、
食感がハナマサと同じくらいだったら、
食べられないことはないんだろう。


でも・・・
やっぱなんか食べる気にならないなぁ・・・。



問題は安全性?いや、違う気がする

なんで食べる気にならないのか、考えてみると、
要は、


得体が知れない、
からだろう。


それを食べ続けたら、なにか体に異変が起きそう。
という感じの、得体の知れなさ。


でも、
よくよく考えてみると、
自分は一体どれだけの食品の安全性を、本当に知っているだろうか?


最近でこそ、中国の食品は危険だ、という常識(?)が広まり、
どこで生産されたものか、一切見ないで買う、ということはないが、
それは、おそらく自分が能動的に、生の食材を手にするところでだけではないか。
例えば、スーパーとか、そういうところでは、手にとるから気にするとは思う。


けれど、
食事に行った時は全ては調べないし、
そもそも、ほとんどの人は、気になる、ということもないのではないだろうか。
せいぜい、マクドナルドとかのファストフード店くらいでだろう。


だから、おそらく、
「安全かどうかが得体の知れている」ことが食べられる条件なのではなくて、
「その食品の生産地を知らない。意識もしない」ことで僕たちは食べてしまっているのではないか。
まどろっこしい言い方をしたが、
要は、「知らなければ、食べちゃう」ということだ。


実際、それを食べても、食べなくても、
安全というのは確保されない。
だって、
安全を作っているのは、
食べ物だけではないから。
運動も適度に必要だし、
空気のきれいさも必要だし、
いろいろな要素が、入り混じって、
絶妙なバランスで、人は生き物は、生きているんだと思う。


だから、
きっと、その食べ物が安全か、過度に気にして生きるのではなくて、
ある程度、適当に、鈍感でいて、
かたや、楽しいことを考えたり、
ポジティブな気持ちで過ごす方が、きっと健康に生きていけるんじゃないだろうか。



そんなポジティブな気持ちで過ごせる音楽を、
我々the chocolate box bandは奏でておりますよ!

ぜひ、9/26(土)のライブへ遊びに来てください!










2015年9月14日月曜日

生死を分ける1分

人生は、緊急車両のようなものさ。
時には、信号が赤でも突っ走らないといけないんだ。
ザ・チョコレートボックス 四元壯


Mr.ドクターカー

超かっこいい男を知った。


間渕則文
中津川市で、ドクターカーという制度を立ち上げたお医者さんだ。


左のおっちゃん。見た目は、最近話題の山〇組にいそうだ。

ドクターカーとは、
救急車で搬送してから治療にあたったのでは手遅れになる患者を、
医師自ら出向いて、その場で処置にあたる、
という制度だ。


”正確”で詳しい情報はこちら↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC


間渕ドクターがこの制度を導入したのは、
自身が、救急医療に携わっている時に、
あと”数分”早く処置にあたれさえすれば助かった命が、
目の前で失われていく、という苦悩があり、

そして、
ドイツで学んだドクターカーという制度を、
自ら、病院や自治体にかけあって、導入に至った。



救急医療の生存率は、わずか5分の違いでも20%以下になってしまう

緊急医療の実態について、少し調べてみたところ、
心臓停止から4分で、生存の可能性は50%。
10分経過すると、20%にもなってしまうようだ。


http://www.tfd.metro.tokyo.jp/lfe/kyuu-adv/joukyu/oukyu-01.htm

だから、
間渕ドクターは、この数分で救える命を救う為に、
ドクターカーを取り入れたのだ。


普段暮らしている中、
3分で生死をわかつなんてこと、
想像もつかない。


しかし、間渕ドクターをはじめ、
医療にたずさわっている人たちは、
常に、
この1分1秒と闘っているなんて、
本当に、頭があがらない。



意志のあるところに、道がある

この制度が導入されたことで、既にいくつもの命が助けられている。
数字で見てしまうと、
人の命の重みも、なんだか軽く見えてしまうけれど、
たった一つの命でも、救っている、というのは、本当にすごいことだ。


そして、この制度が導入されたことについて思うのは、
間渕ドクターはじめ、
この制度を導入しようとする人たちの「意志」がなければ、
ありえなかったことだと思う。


医師の意志。


ダジャレみたいだけど、この意志には強い覚悟がある。


きっと一番最初にはじめる人というのは、
かなりの覚悟がないと出来ない。


だって、
中津川市のドクターカーの勤務体制は、
ドクターは2人だけで、365日勤務している。


9日出勤し、5日休む。
24時間、常に待機状態だ。


こんなの、普通の人だったら、
「救急医療、課題あるよね。どうしたら、なくせるかなぁ?」
「なんかドイツにドクターカーって仕組みがあるらしいよ」
「え?なにそれ?超過酷じゃん。絶対ムリムリ」
という感じで、きっと導入しようともしなかっただろう。


今は、
技術も知識も、人類史上最も、量も質も高い時だろう。
だけど、
そこに「意志」がなければ、
それは何の意味も持たない。


意志を持って、動き出す。
意志を持って、続ける。


そうやって生きていきたい。


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意志を持って、9月26日(土)、ライブします!
下北沢DaisyBar。

こないだのライブ動画です。これを見て、ぜひ、期待を高めてください!!














2015年9月12日土曜日

作品の存在価値は、喜ぶ人がいるかどうか

人生は、まるでオークションのようなものさ。
他人が欲しがらないと、価値なんてわからないんだ。
四元壯



あまり書きたくないテーマ

あまり・・・
あまり書きたくないテーマだけど、
どうしても、ここ数日、色々思いめぐらすところがあるので、
書こうと思います。



神戸で事件を起こした、元少年Aが、
手記の出版やHPを開設しました。


僕は、基本的にはあまりワイドショーで取り上げられるようなニュースには、
なるべく関心を持たないようにしています。

なぜなら、
無関係の人が、自分のことを棚に上げて騒いでいるのも嫌だし、
大したことでなくても、取り上げる話題がない時は、無理にでもニュースにするからです。

だから、
一連のこの話題についても、
あまり関心を持たないようにしていたのですが、
日々、関心が高まっているのに気付きました。



そして、つい先日、
おそらく本人のものと思われるHPが開設され、
ネットで話題になっていたので、
僕もそのページを見ました。



実際に見てみて思うことは、
「いわゆる”普通の人”とは違う才能は、あるんだろう」
ということでした。
自分の読んだ本のレビューなどがあったのですが、
レビューとして、すごく良く出来ていると思いました。
なぜなら、
それを読んで、僕自身がそこに出ている作品に興味を持ったからです。


でも、
それよりも強く感じたことは、酷い”違和感”だった。

3行しかない略歴の一行を
「事件を起し、少年院に収容される」
と書いてあるのだ。
これを見た瞬間は、どうしても「許せない」という感情が芽生えずにはいられなかった。


自分自身は、全く彼と関係ないし、
事件とも、事件の関係者とも関係が一切ないので、
「許せない」という感情自体が、
筋違いだと思うのだが、
このことについては、また改めて書こうと思う。



彼の作品はなぜ受け入れ難いか?

そのHPは、
メインページ、ギャラリー、レビューで主に構成されていて、
ギャラリーには、
彼自身が描いたイラストや、写真の作品が掲載されていた。


僕は、
「なんだか、気持ち悪い・・・」
という感想だった。


なんていうか、
胸の中を、ナイフでもなく、フォークやスプーンでえぐられるような、
映画『冷たい熱帯魚』を見ている時のような、
嫌悪感で、気持ち悪くなってしまった。


ネット住人の意見は、あまり参考にしない方がいいとは思うのだが、
彼らにも、
この作品はとても不評な様子だ。


では、なぜ、彼の作品は受け入れ難いのか?


きっとそこには、
「それを見ることで喜ぶ人」がいないからだと思う。


正確には、0ではないと思う。
人にはそれぞれ好みがあり、彼のような作風がすごく合う人もいるだろう。


でも、
喜ぶ人の数や、喜びの質が圧倒的に弱い気がする。


それは、
この一連の事に関する噂の一つとして、
「遺族への許可を取らずに出版してしまった」
ということがあるのも、無関係ではないだろう。



アートは、芸術は、
正解はない。
絵を描くための資格もいらないし、
発信する為の権利も誰にだってある。


だけど、
やっぱり、
誰かが喜ぶことが、
アートの存在価値としては、正解なんじゃないだろうか。


音楽もそう。
映像作品もそう。
絵も、文章も、全て、
自分ひとりでも出来る。
わざわざ、
発信しなくたって、
自分ひとりで、自己満足することだって出来る。


でも、
それでも発信するのは、
誰かに認めてもらいたかったり、
誰かに喜んでもらいたかったりするからではないのだろうか?


だから、
発信するからには、
それを見ているだろう「誰か」のことを想い、理解をすることが必要なのではないか、
と思った。



ただ、こういうことも、
彼が、大して注目を浴びない殺人を犯した人だったら、
俺もこうは思わなかったかもしれない。


発信する者の責任。
そんなもの、あるのかな・・・・。

2015年9月11日金曜日

男の決意

人生は、おみくじみたいなもんさ。
引いてみたら、大吉だったり、大凶だったり。
でも、引く勇気がないと悪い結果すら得ることはできないんだ。
四元壯



嵐の夜に、結婚について考える

こないだ姉のパイセン(先輩)とご飯を食べた。
そのパイセンは言っていた。


「結婚なんて、結局男が決めるかどうかなんだよね。
男が決めちゃえば、あっという間だよ」
と。


さすが、パイセンは人生の先輩。
言うことに、真実味がある。と思った。
(ごちそうさまでした!)




その考え方で、見渡してみると・・・

僕は、『サラダ記念日』で有名な俵万智さんがけっこう好きなのですが、
あの人の小説『トリアングル』という、
恋愛小説の登場人物たちも、
結局、「男の意思」に翻弄されているんだなぁ、
という読み方ができた。


この小説は、
主役の女性と、不倫相手だけど素敵な男性Mと、年下で鬱陶しいほどのピュアな男の子と、
3人の三角関係の物語なんだけれど、
(ちなみに”トリアングル”はフランス語で、英語だと”トライアングル”ですよ)
「結婚をするかしないか決意しない」男性Mと、
「結婚したり、もしくはちゃんと付き合うという決意をしている」男の子、
二人の決意が、主役の女性の気持ちを、行ったり来たりさせる。


決意がないからこそ、維持できる関係。
決意があるからこそ、変わってしまう関係。


決意がないのは、結局、大切なことを先送りしているだけなんだけど、
卒業とか時間の制約もない大人だからこそできる、
先送りの仕方だな、とは思う。



人生は波に揺られるように。でも、意思を持って。

常に、白黒つけなければいけない人生というのは、
楽ではない。
めんどくさいことの方が多い。
波風立て、ぶつかりあって、は疲れてしまうから。


でも、
それでも、
毎日毎日、生きていて、
波に揺られるままに生きていたら、
あっという間に、
自分の意図しなかった場所、望んでいない場所に辿りついてしまう。


だから、
なるべく、
自分の意思で選べることは、
どんどん選んでいきたいと思う。


他人の波に流されるのは、
慣れてしまうと、抜け出せなくなる。
沖から、戻れなくなるんじゃないかと強くなる。
だからこそ、意思の強さが必要なんだ。









2015年9月10日木曜日

台風の目になりたい(今日のブログは軽めです) 

人生は、台風のようなものさ。
穏やかな日々はつかの間。いつだって、嵐の中なんだ。
四元壯



台風ヒャッホーイ!

今日(2015年9月9日)は、東京に台風が上陸していました。


いつもそうなんだけど、
俺はあまり台風の恩恵を受けることがなく、
電車も順調に運行するし、
会社の行きも帰りも、割と雨が弱くて、
「ちょっと電車が遅延しているので、遅れそうです」
という仕方のない遅刻というのをしたことがない。


というわけで、今日も順調に帰ってこれました。



こんな幻想的な台風、見てみたい。

宇宙を感じたい夜 

もうだいぶ台風もおさまって、
瞬間的には、
夜空もあおげる時もあるくらい。


帰り道、
疲れたのか、疲れていないのかわからない体を、
疲れてないと思わせる為に、
わざと空を見上げてみたりして、
手に持った傘を振り回して、
ジーン・ケリーになりたいなぁ、
と思ってみたりして。


楽しい夜も淋しいし、
淋しい夜はもっと淋しい。


淋しい夜は、
宇宙の中でひとりぼっちな気がしたり。


今夜は、こんな時間だけど、E.T.でも見ながら寝るとしますか。




<ライブ今年はあと2つだけ>
9/27と11/28にライブします。
ぜひ、応援しに来てください。


ザ・チョコレートボックス
四元壯







2015年9月9日水曜日

僕らを繋ぐもの

人生は、ビー玉転がしのようなものさ。
適当に転がって、そして適当にぶつかったビー玉同士が、
いわゆる運命ってやつだったりするもんなんだ。
四元壯


偉大な作品の偉大なるゆえん

最近、音楽業界では”ミリオン”がほとんど出なくなったと言われている。
実際は、ちょくちょく出てはいるのだけれど、
ミリオンいった場合も、
誰もが一緒に歌える、という意味では、
大ヒットはしていないと言えるかもしれない。


ミュージシャンの中には、
ミリオンとか、そういう記録は後からついてくるもので、
あまり重要ではない、
という人もいるが、
それでもやはりミリオン(国民的大ヒット)がすごいのは、
「誰でも知っている」
ということだと思う。


それは、音楽に限らず、
映画でも、漫画でも、アニメでもそうだ。


そういう作品のすごさは、
個人と個人の結びつきを強くすることだ。


その作品との出会いも、個人と個人のいる環境とか、
全てが違っても、
その作品を通じて、
心も通じ合わせることができる。


それが、
偉大な作品の偉大なるゆえんだと思う。


国民的プロデューサーTKも、つんつんした頭の時期があったのね。

そして、偉大な作品は時空を超える

時々行く渋谷のバーでは、
70年代の音楽を中心としたレコードを流してくれる。

マイケルのビリージーンとか、よくリクエストしている人がいる。

そこで、
昔の音楽を聴くと、
驚くほど新鮮だし、
あぁ、こんなことはこの頃からやっていたんだ、
と思うことすらある。


だから、
本当に新しいことをするには、
まずは、過去をしっかりと学ぶことが大事なんだと、
温故知新とは、まさにその通りなんだ、
と思うことがある。



時々やっているツイキャスという配信で、
仲の良い(と言っても会ったことのない)友達が、
突然、

「よっつん、青い栞歌えたらいいのに!」
と言ってきた。


まさに、
今日、コードを確認した曲で、
風呂場で、熱唱して練習した曲だから、
本当にびっくりした。


偶然は、こんな風に僕らをつないでいく。


iPodで聞いている音楽には、
既に亡くなっている人の音楽も多くある。

だけど、
そんなことは関係なく、
僕らは、良い音楽に感動し、
そして、その音楽で人と人とが繋がる。

そんな素晴らしい音楽を、
僕らも奏でられたらと心から思うし、願う。


the chocolate box
四元壯




2015年9月7日月曜日

親子関係

人生は、歯車だとよく言われるけれど、
あるべき場所で、スムーズに回っている歯車だったら、
それもいいんじゃないだろうか。
the chocolate box 四元壯


いい作品は、見たあとの時間に熟成される

「おおかみこどもの雨と雪」を見てから、
何日経っただろうか。

何日経っても、
頭の中を、あるシーンがよぎったり、
その作品の空気が匂ったりするものは、
いい作品(=自分の好きな)なんだな、と思う。

「おおかみこども」は、
まさに、そんな作品のようです。


このポスターは、銀座でよく見ていた。けど、この時は見なかった。

価値観は、他者との関わりの中で変わっていく

もしも世界に、ひとりきりだったら・・・
なんて例えは、意味ないかもしれないけれど、
きっと、
価値観の変化は、「他者との関わり」の中で変わっていくんだな、
と最近実感している。


啓発本とかでは、よく
「自分の周りにいる8人の人間が、今の自分であり、未来の自分である」
(だから、目指すものの為に、環境を整えろ、という文脈)
ということが書いてある。
おそらく、
意思が強い人も、弱い人も、お金を持っている人も、いない人も、
少なからず、
周りにいる人間の考えや、発言、見た目、態度に、
影響を受けてしまうんだと思う。
だから、「周りにいる人が誰か」は人生を左右するのだと思う。


おおかみこども〜でも、
「周囲からの影響」を象徴している部分があった。


長女の雪は、
幼い頃は、弟の雨と一緒になって、
おおかみになって走り回っていた。
おおかみに生まれたことを嘆く弟よりも、
率先して、おおかみとして生きていた。


でも、学校という”社会”に入ってからは、
次第に、
”おおかみである自分”を恥じるようになり、
自分の本当の姿がバレてしまうことに、
強い恐怖を覚えはじめた。


変わってしまったことは、
「おおかみである自分」
ではなく、
おおかみである自分に対する「認識」や「価値観」だ。


この認識は、なぜ変わってしまったのか?
その理由がまさに、
学校の友達(あるいは先生)の考え方や見た目だ。

同じような髪、同じ服装、同じ言葉を話していたい、という気持ちは、わかるけどね。

歯車の狂う時

周囲の影響で、
自分が変わっていくこと自体は、
別に悪いことではない。


ただ、
「他人の目を気にして」「他人の基準にあてはめようとする時」
うまく回っていた歯車は、
きっと、
少しずつ、かみ合わなくなっていくんだと思う。


おおかみこどものお母さんは、
雪が、
学校の友達に影響されて、おおかみを隠そうとする気持ちも、
雨が、
おおかみの師匠に影響されて、学校に行かずおおかみとして生きていこうとする気持ちも、
否定することなく受け入れていた。


結果的に(注:ネタバレになるよ!!)、
家族はバラバラになってしまったけど、
恨みつらみはなく、
それぞれが、自立して、それぞれの道を進んだ、
という意味では、
いい家族関係なのだと思う。
すごく、淋しいとは思うけど。


だけど、
世の中には、
他人によって影響された、他人の基準を、
子どもに(親に)押し付けてくる親が少なくない。
いわゆる「世間体」だ。


だから、
いじめとか、学校が合わないと思っている子どもに対しても、
「学校は行かなければいけないもの」
「行かないと、恥ずかしい思いをする」
という価値観のもと、
無理やり学校に行かせたりする親も出てくる。
(逆に、学校行かなくていいよ、と放置する親もいて、その場合でも、こどもはちゃんと大人になっている。ちょっとグレるパターンが多いけど)


でも、
もしここで、親が、自分自身で考えに考え抜いた基準で、
子どもと関われば、
きっと、
「なぜ学校に行かなければいけないのか」ということや
「学校に行かないなら、どうするのか。なにかする?」ということを、
子どもと話せて、
いずれにせよ結果的に、
「学校に行く」となるか、
「やりたいことを徹底してやる!そしてやりたいことは◯◯!」
という風に、前向きになれるのではないか、と思う。



子どもは一生、大きな笑い声で笑っていて欲しいよね。

生きることは、一人で生きるのではなく、
他者と共に生きること。

だから、
自分のやりたいことが通らないことや否定されることもたくさんあるとは思う。
自分がどっぷり浸かっている環境で、常に身近にいる人たちに、
肯定や応援されないどころか、
強く否定されることすらあるかもしれない。

でも、
違う場所には、きっと肯定してくれる人もいるだろうから、
今の環境での価値観を全てだと思わないように生きていきたいですね。

8月に出た、下北沢DaisyBarの方に、
ちょっとだけ褒められて、
すんごい喜んでいる僕たちは、
また9月に下北沢DaisyBarに出ることになりました。


年内、あと2回しかライブありません。(予定)


ぜひとも、
大きく羽ばたく前のザ・チョコレートボックスを、
見ていてください。
見に来てください!



<ライブ情報>
9/26@下北沢DaisyBar
18:30OPEN/19:00START
前売り2000円(+1Drink)

11/28@六本木Claps
詳細未定








2015年9月1日火曜日

一緒に、生き延びよう

人生は、ところ狭しと並ぶ図書館の本のようなものさ。
誰かが、偶然手を伸ばした先に、自分という物語が読まれるんだ。
四元壯



図書館の逆襲が、はじまった

夏休みの終わり、あるツイートが話題になった。
鎌倉図書館のツイッターが、学校に行きたくない子どもに、
救いの手を差し伸べた。


これは、抜粋ではなく、原文まま見てもらいたい。
「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね」
これを書いた図書館のお姉さんは、やはりエプロンをしてたのだろうか? 
鎌倉図書館のツイート
https://twitter.com/kamakura_tosyok/status/636329967668695040 
すごく、すごく素晴らしい手のさしのべ方で、
なんで俺がこれを言うことができなかったのか、
嫉妬すらしてしまうくらいの素晴らしさだ。


でも、この内容は、
思考停止をしてしまった学校関係者からは、
きっと、「喧嘩上等」の言葉に思えてしまうのだろうと思う。


「学校に行かなくてもいい」
「マンガもライトノベルもある」
というのは、
四元翻訳によると、


「学校なんか行っても行かなくてもいい場所だし、
それに、生活費を稼ぐ為に教師という仕事をしている、
志もない、教えるスキルのない先生に教えてもらうよりも、
マンガやライトノベルの方が、
面白い上に、知識も得られるし、生きる上で大切なことも学べるよ」


と訳せるからだ。(ちょっと長かったかな?)


「不登校を助長する」の声。「学校に行かず図書館に行く」のはダメ?

そして、やはりこういう時に出てくるのは、
「この発言は、不登校を助長するのでは?」
という声。


ちょっと待ってください。
学校に行かないって、本当に悪いことですか?

ましてや、
学校には行かなくても、
図書館には行っている、というのはむしろ、いいことではないですか?
引きこもってゲームばっかでも、得られるものも、実はある。
鎌倉市教委、図書館ツイート削除を検討 理由は「不登校を助長する」からではなかった
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150828-00000007-jct-soci

結局、このツイートの全文を見ても、
「不登校を助長する」とか、
「自殺を助長する」とかいう人たちは、
文脈を読む力もないし、
本当に大事なものの、優先順位がわかっていない人たちなんだと思う。



だって、
「そもそも学校ってなんの為に行くんだっけ?」
と考えれば、最終的には、
「生きる為」
というのは、明らかだ。

学校で学ぶ知識や、社会性は、
あくまで、仕事をする為、そしてそれによって生活するお金、力を得る為だろう。
だから、
その為に行く学校で、


「死ぬほど」嫌なことがあって、
「死んで」しまったら、
なんの意味もない。
それなのに、「図書館に行って生きる」ことよりも「学校を強要されて死ぬ」
方がいいとでも言うのだろうか。


それに、
「図書館に行って、学校に行かないのを良しとしない人」は、
「なんの成果も出さなくてもいいから、その場にいることが大事」
というまるで、残業する必要ないのに、空気的に残ってしまう会社員のような精神を身につけさせてたいのだろうか?


そんなくだらない能力よりも、
自ら、図書館という自分の生きる場所を「見つけ」、
そして、自分の興味のあるもの、それが書いてある本を「選び」、
知識を得て、その子らしさを、「自分で育てる」
という”主体性”が身についた方が、よっぽどいいのではないだろうか。


自ら死ぬことが、なぜいけないかはわからない。
生きていかなきゃいけない理由も、説明はできない。
でも、
わかっているのは、
死んではいけない。生きよう。生き延びよう。
それだけだ。


人生を180度変えるほど、
素晴らしいことは起きないかもしれない。
でも、
一緒に生き延びよう。
一緒に歩いていこう。