2015年9月14日月曜日

生死を分ける1分

人生は、緊急車両のようなものさ。
時には、信号が赤でも突っ走らないといけないんだ。
ザ・チョコレートボックス 四元壯


Mr.ドクターカー

超かっこいい男を知った。


間渕則文
中津川市で、ドクターカーという制度を立ち上げたお医者さんだ。


左のおっちゃん。見た目は、最近話題の山〇組にいそうだ。

ドクターカーとは、
救急車で搬送してから治療にあたったのでは手遅れになる患者を、
医師自ら出向いて、その場で処置にあたる、
という制度だ。


”正確”で詳しい情報はこちら↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC


間渕ドクターがこの制度を導入したのは、
自身が、救急医療に携わっている時に、
あと”数分”早く処置にあたれさえすれば助かった命が、
目の前で失われていく、という苦悩があり、

そして、
ドイツで学んだドクターカーという制度を、
自ら、病院や自治体にかけあって、導入に至った。



救急医療の生存率は、わずか5分の違いでも20%以下になってしまう

緊急医療の実態について、少し調べてみたところ、
心臓停止から4分で、生存の可能性は50%。
10分経過すると、20%にもなってしまうようだ。


http://www.tfd.metro.tokyo.jp/lfe/kyuu-adv/joukyu/oukyu-01.htm

だから、
間渕ドクターは、この数分で救える命を救う為に、
ドクターカーを取り入れたのだ。


普段暮らしている中、
3分で生死をわかつなんてこと、
想像もつかない。


しかし、間渕ドクターをはじめ、
医療にたずさわっている人たちは、
常に、
この1分1秒と闘っているなんて、
本当に、頭があがらない。



意志のあるところに、道がある

この制度が導入されたことで、既にいくつもの命が助けられている。
数字で見てしまうと、
人の命の重みも、なんだか軽く見えてしまうけれど、
たった一つの命でも、救っている、というのは、本当にすごいことだ。


そして、この制度が導入されたことについて思うのは、
間渕ドクターはじめ、
この制度を導入しようとする人たちの「意志」がなければ、
ありえなかったことだと思う。


医師の意志。


ダジャレみたいだけど、この意志には強い覚悟がある。


きっと一番最初にはじめる人というのは、
かなりの覚悟がないと出来ない。


だって、
中津川市のドクターカーの勤務体制は、
ドクターは2人だけで、365日勤務している。


9日出勤し、5日休む。
24時間、常に待機状態だ。


こんなの、普通の人だったら、
「救急医療、課題あるよね。どうしたら、なくせるかなぁ?」
「なんかドイツにドクターカーって仕組みがあるらしいよ」
「え?なにそれ?超過酷じゃん。絶対ムリムリ」
という感じで、きっと導入しようともしなかっただろう。


今は、
技術も知識も、人類史上最も、量も質も高い時だろう。
だけど、
そこに「意志」がなければ、
それは何の意味も持たない。


意志を持って、動き出す。
意志を持って、続ける。


そうやって生きていきたい。


-----
意志を持って、9月26日(土)、ライブします!
下北沢DaisyBar。

こないだのライブ動画です。これを見て、ぜひ、期待を高めてください!!














2015年9月12日土曜日

作品の存在価値は、喜ぶ人がいるかどうか

人生は、まるでオークションのようなものさ。
他人が欲しがらないと、価値なんてわからないんだ。
四元壯



あまり書きたくないテーマ

あまり・・・
あまり書きたくないテーマだけど、
どうしても、ここ数日、色々思いめぐらすところがあるので、
書こうと思います。



神戸で事件を起こした、元少年Aが、
手記の出版やHPを開設しました。


僕は、基本的にはあまりワイドショーで取り上げられるようなニュースには、
なるべく関心を持たないようにしています。

なぜなら、
無関係の人が、自分のことを棚に上げて騒いでいるのも嫌だし、
大したことでなくても、取り上げる話題がない時は、無理にでもニュースにするからです。

だから、
一連のこの話題についても、
あまり関心を持たないようにしていたのですが、
日々、関心が高まっているのに気付きました。



そして、つい先日、
おそらく本人のものと思われるHPが開設され、
ネットで話題になっていたので、
僕もそのページを見ました。



実際に見てみて思うことは、
「いわゆる”普通の人”とは違う才能は、あるんだろう」
ということでした。
自分の読んだ本のレビューなどがあったのですが、
レビューとして、すごく良く出来ていると思いました。
なぜなら、
それを読んで、僕自身がそこに出ている作品に興味を持ったからです。


でも、
それよりも強く感じたことは、酷い”違和感”だった。

3行しかない略歴の一行を
「事件を起し、少年院に収容される」
と書いてあるのだ。
これを見た瞬間は、どうしても「許せない」という感情が芽生えずにはいられなかった。


自分自身は、全く彼と関係ないし、
事件とも、事件の関係者とも関係が一切ないので、
「許せない」という感情自体が、
筋違いだと思うのだが、
このことについては、また改めて書こうと思う。



彼の作品はなぜ受け入れ難いか?

そのHPは、
メインページ、ギャラリー、レビューで主に構成されていて、
ギャラリーには、
彼自身が描いたイラストや、写真の作品が掲載されていた。


僕は、
「なんだか、気持ち悪い・・・」
という感想だった。


なんていうか、
胸の中を、ナイフでもなく、フォークやスプーンでえぐられるような、
映画『冷たい熱帯魚』を見ている時のような、
嫌悪感で、気持ち悪くなってしまった。


ネット住人の意見は、あまり参考にしない方がいいとは思うのだが、
彼らにも、
この作品はとても不評な様子だ。


では、なぜ、彼の作品は受け入れ難いのか?


きっとそこには、
「それを見ることで喜ぶ人」がいないからだと思う。


正確には、0ではないと思う。
人にはそれぞれ好みがあり、彼のような作風がすごく合う人もいるだろう。


でも、
喜ぶ人の数や、喜びの質が圧倒的に弱い気がする。


それは、
この一連の事に関する噂の一つとして、
「遺族への許可を取らずに出版してしまった」
ということがあるのも、無関係ではないだろう。



アートは、芸術は、
正解はない。
絵を描くための資格もいらないし、
発信する為の権利も誰にだってある。


だけど、
やっぱり、
誰かが喜ぶことが、
アートの存在価値としては、正解なんじゃないだろうか。


音楽もそう。
映像作品もそう。
絵も、文章も、全て、
自分ひとりでも出来る。
わざわざ、
発信しなくたって、
自分ひとりで、自己満足することだって出来る。


でも、
それでも発信するのは、
誰かに認めてもらいたかったり、
誰かに喜んでもらいたかったりするからではないのだろうか?


だから、
発信するからには、
それを見ているだろう「誰か」のことを想い、理解をすることが必要なのではないか、
と思った。



ただ、こういうことも、
彼が、大して注目を浴びない殺人を犯した人だったら、
俺もこうは思わなかったかもしれない。


発信する者の責任。
そんなもの、あるのかな・・・・。

2015年9月11日金曜日

男の決意

人生は、おみくじみたいなもんさ。
引いてみたら、大吉だったり、大凶だったり。
でも、引く勇気がないと悪い結果すら得ることはできないんだ。
四元壯



嵐の夜に、結婚について考える

こないだ姉のパイセン(先輩)とご飯を食べた。
そのパイセンは言っていた。


「結婚なんて、結局男が決めるかどうかなんだよね。
男が決めちゃえば、あっという間だよ」
と。


さすが、パイセンは人生の先輩。
言うことに、真実味がある。と思った。
(ごちそうさまでした!)




その考え方で、見渡してみると・・・

僕は、『サラダ記念日』で有名な俵万智さんがけっこう好きなのですが、
あの人の小説『トリアングル』という、
恋愛小説の登場人物たちも、
結局、「男の意思」に翻弄されているんだなぁ、
という読み方ができた。


この小説は、
主役の女性と、不倫相手だけど素敵な男性Mと、年下で鬱陶しいほどのピュアな男の子と、
3人の三角関係の物語なんだけれど、
(ちなみに”トリアングル”はフランス語で、英語だと”トライアングル”ですよ)
「結婚をするかしないか決意しない」男性Mと、
「結婚したり、もしくはちゃんと付き合うという決意をしている」男の子、
二人の決意が、主役の女性の気持ちを、行ったり来たりさせる。


決意がないからこそ、維持できる関係。
決意があるからこそ、変わってしまう関係。


決意がないのは、結局、大切なことを先送りしているだけなんだけど、
卒業とか時間の制約もない大人だからこそできる、
先送りの仕方だな、とは思う。



人生は波に揺られるように。でも、意思を持って。

常に、白黒つけなければいけない人生というのは、
楽ではない。
めんどくさいことの方が多い。
波風立て、ぶつかりあって、は疲れてしまうから。


でも、
それでも、
毎日毎日、生きていて、
波に揺られるままに生きていたら、
あっという間に、
自分の意図しなかった場所、望んでいない場所に辿りついてしまう。


だから、
なるべく、
自分の意思で選べることは、
どんどん選んでいきたいと思う。


他人の波に流されるのは、
慣れてしまうと、抜け出せなくなる。
沖から、戻れなくなるんじゃないかと強くなる。
だからこそ、意思の強さが必要なんだ。









2015年9月10日木曜日

台風の目になりたい(今日のブログは軽めです) 

人生は、台風のようなものさ。
穏やかな日々はつかの間。いつだって、嵐の中なんだ。
四元壯



台風ヒャッホーイ!

今日(2015年9月9日)は、東京に台風が上陸していました。


いつもそうなんだけど、
俺はあまり台風の恩恵を受けることがなく、
電車も順調に運行するし、
会社の行きも帰りも、割と雨が弱くて、
「ちょっと電車が遅延しているので、遅れそうです」
という仕方のない遅刻というのをしたことがない。


というわけで、今日も順調に帰ってこれました。



こんな幻想的な台風、見てみたい。

宇宙を感じたい夜 

もうだいぶ台風もおさまって、
瞬間的には、
夜空もあおげる時もあるくらい。


帰り道、
疲れたのか、疲れていないのかわからない体を、
疲れてないと思わせる為に、
わざと空を見上げてみたりして、
手に持った傘を振り回して、
ジーン・ケリーになりたいなぁ、
と思ってみたりして。


楽しい夜も淋しいし、
淋しい夜はもっと淋しい。


淋しい夜は、
宇宙の中でひとりぼっちな気がしたり。


今夜は、こんな時間だけど、E.T.でも見ながら寝るとしますか。




<ライブ今年はあと2つだけ>
9/27と11/28にライブします。
ぜひ、応援しに来てください。


ザ・チョコレートボックス
四元壯







2015年9月9日水曜日

僕らを繋ぐもの

人生は、ビー玉転がしのようなものさ。
適当に転がって、そして適当にぶつかったビー玉同士が、
いわゆる運命ってやつだったりするもんなんだ。
四元壯


偉大な作品の偉大なるゆえん

最近、音楽業界では”ミリオン”がほとんど出なくなったと言われている。
実際は、ちょくちょく出てはいるのだけれど、
ミリオンいった場合も、
誰もが一緒に歌える、という意味では、
大ヒットはしていないと言えるかもしれない。


ミュージシャンの中には、
ミリオンとか、そういう記録は後からついてくるもので、
あまり重要ではない、
という人もいるが、
それでもやはりミリオン(国民的大ヒット)がすごいのは、
「誰でも知っている」
ということだと思う。


それは、音楽に限らず、
映画でも、漫画でも、アニメでもそうだ。


そういう作品のすごさは、
個人と個人の結びつきを強くすることだ。


その作品との出会いも、個人と個人のいる環境とか、
全てが違っても、
その作品を通じて、
心も通じ合わせることができる。


それが、
偉大な作品の偉大なるゆえんだと思う。


国民的プロデューサーTKも、つんつんした頭の時期があったのね。

そして、偉大な作品は時空を超える

時々行く渋谷のバーでは、
70年代の音楽を中心としたレコードを流してくれる。

マイケルのビリージーンとか、よくリクエストしている人がいる。

そこで、
昔の音楽を聴くと、
驚くほど新鮮だし、
あぁ、こんなことはこの頃からやっていたんだ、
と思うことすらある。


だから、
本当に新しいことをするには、
まずは、過去をしっかりと学ぶことが大事なんだと、
温故知新とは、まさにその通りなんだ、
と思うことがある。



時々やっているツイキャスという配信で、
仲の良い(と言っても会ったことのない)友達が、
突然、

「よっつん、青い栞歌えたらいいのに!」
と言ってきた。


まさに、
今日、コードを確認した曲で、
風呂場で、熱唱して練習した曲だから、
本当にびっくりした。


偶然は、こんな風に僕らをつないでいく。


iPodで聞いている音楽には、
既に亡くなっている人の音楽も多くある。

だけど、
そんなことは関係なく、
僕らは、良い音楽に感動し、
そして、その音楽で人と人とが繋がる。

そんな素晴らしい音楽を、
僕らも奏でられたらと心から思うし、願う。


the chocolate box
四元壯




2015年9月7日月曜日

親子関係

人生は、歯車だとよく言われるけれど、
あるべき場所で、スムーズに回っている歯車だったら、
それもいいんじゃないだろうか。
the chocolate box 四元壯


いい作品は、見たあとの時間に熟成される

「おおかみこどもの雨と雪」を見てから、
何日経っただろうか。

何日経っても、
頭の中を、あるシーンがよぎったり、
その作品の空気が匂ったりするものは、
いい作品(=自分の好きな)なんだな、と思う。

「おおかみこども」は、
まさに、そんな作品のようです。


このポスターは、銀座でよく見ていた。けど、この時は見なかった。

価値観は、他者との関わりの中で変わっていく

もしも世界に、ひとりきりだったら・・・
なんて例えは、意味ないかもしれないけれど、
きっと、
価値観の変化は、「他者との関わり」の中で変わっていくんだな、
と最近実感している。


啓発本とかでは、よく
「自分の周りにいる8人の人間が、今の自分であり、未来の自分である」
(だから、目指すものの為に、環境を整えろ、という文脈)
ということが書いてある。
おそらく、
意思が強い人も、弱い人も、お金を持っている人も、いない人も、
少なからず、
周りにいる人間の考えや、発言、見た目、態度に、
影響を受けてしまうんだと思う。
だから、「周りにいる人が誰か」は人生を左右するのだと思う。


おおかみこども〜でも、
「周囲からの影響」を象徴している部分があった。


長女の雪は、
幼い頃は、弟の雨と一緒になって、
おおかみになって走り回っていた。
おおかみに生まれたことを嘆く弟よりも、
率先して、おおかみとして生きていた。


でも、学校という”社会”に入ってからは、
次第に、
”おおかみである自分”を恥じるようになり、
自分の本当の姿がバレてしまうことに、
強い恐怖を覚えはじめた。


変わってしまったことは、
「おおかみである自分」
ではなく、
おおかみである自分に対する「認識」や「価値観」だ。


この認識は、なぜ変わってしまったのか?
その理由がまさに、
学校の友達(あるいは先生)の考え方や見た目だ。

同じような髪、同じ服装、同じ言葉を話していたい、という気持ちは、わかるけどね。

歯車の狂う時

周囲の影響で、
自分が変わっていくこと自体は、
別に悪いことではない。


ただ、
「他人の目を気にして」「他人の基準にあてはめようとする時」
うまく回っていた歯車は、
きっと、
少しずつ、かみ合わなくなっていくんだと思う。


おおかみこどものお母さんは、
雪が、
学校の友達に影響されて、おおかみを隠そうとする気持ちも、
雨が、
おおかみの師匠に影響されて、学校に行かずおおかみとして生きていこうとする気持ちも、
否定することなく受け入れていた。


結果的に(注:ネタバレになるよ!!)、
家族はバラバラになってしまったけど、
恨みつらみはなく、
それぞれが、自立して、それぞれの道を進んだ、
という意味では、
いい家族関係なのだと思う。
すごく、淋しいとは思うけど。


だけど、
世の中には、
他人によって影響された、他人の基準を、
子どもに(親に)押し付けてくる親が少なくない。
いわゆる「世間体」だ。


だから、
いじめとか、学校が合わないと思っている子どもに対しても、
「学校は行かなければいけないもの」
「行かないと、恥ずかしい思いをする」
という価値観のもと、
無理やり学校に行かせたりする親も出てくる。
(逆に、学校行かなくていいよ、と放置する親もいて、その場合でも、こどもはちゃんと大人になっている。ちょっとグレるパターンが多いけど)


でも、
もしここで、親が、自分自身で考えに考え抜いた基準で、
子どもと関われば、
きっと、
「なぜ学校に行かなければいけないのか」ということや
「学校に行かないなら、どうするのか。なにかする?」ということを、
子どもと話せて、
いずれにせよ結果的に、
「学校に行く」となるか、
「やりたいことを徹底してやる!そしてやりたいことは◯◯!」
という風に、前向きになれるのではないか、と思う。



子どもは一生、大きな笑い声で笑っていて欲しいよね。

生きることは、一人で生きるのではなく、
他者と共に生きること。

だから、
自分のやりたいことが通らないことや否定されることもたくさんあるとは思う。
自分がどっぷり浸かっている環境で、常に身近にいる人たちに、
肯定や応援されないどころか、
強く否定されることすらあるかもしれない。

でも、
違う場所には、きっと肯定してくれる人もいるだろうから、
今の環境での価値観を全てだと思わないように生きていきたいですね。

8月に出た、下北沢DaisyBarの方に、
ちょっとだけ褒められて、
すんごい喜んでいる僕たちは、
また9月に下北沢DaisyBarに出ることになりました。


年内、あと2回しかライブありません。(予定)


ぜひとも、
大きく羽ばたく前のザ・チョコレートボックスを、
見ていてください。
見に来てください!



<ライブ情報>
9/26@下北沢DaisyBar
18:30OPEN/19:00START
前売り2000円(+1Drink)

11/28@六本木Claps
詳細未定








2015年9月1日火曜日

一緒に、生き延びよう

人生は、ところ狭しと並ぶ図書館の本のようなものさ。
誰かが、偶然手を伸ばした先に、自分という物語が読まれるんだ。
四元壯



図書館の逆襲が、はじまった

夏休みの終わり、あるツイートが話題になった。
鎌倉図書館のツイッターが、学校に行きたくない子どもに、
救いの手を差し伸べた。


これは、抜粋ではなく、原文まま見てもらいたい。
「もうすぐ二学期。学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい。マンガもライトノベルもあるよ。一日いても誰も何も言わないよ。9月から学校へ行くくらいなら死んじゃおうと思ったら、逃げ場所に図書館も思い出してね」
これを書いた図書館のお姉さんは、やはりエプロンをしてたのだろうか? 
鎌倉図書館のツイート
https://twitter.com/kamakura_tosyok/status/636329967668695040 
すごく、すごく素晴らしい手のさしのべ方で、
なんで俺がこれを言うことができなかったのか、
嫉妬すらしてしまうくらいの素晴らしさだ。


でも、この内容は、
思考停止をしてしまった学校関係者からは、
きっと、「喧嘩上等」の言葉に思えてしまうのだろうと思う。


「学校に行かなくてもいい」
「マンガもライトノベルもある」
というのは、
四元翻訳によると、


「学校なんか行っても行かなくてもいい場所だし、
それに、生活費を稼ぐ為に教師という仕事をしている、
志もない、教えるスキルのない先生に教えてもらうよりも、
マンガやライトノベルの方が、
面白い上に、知識も得られるし、生きる上で大切なことも学べるよ」


と訳せるからだ。(ちょっと長かったかな?)


「不登校を助長する」の声。「学校に行かず図書館に行く」のはダメ?

そして、やはりこういう時に出てくるのは、
「この発言は、不登校を助長するのでは?」
という声。


ちょっと待ってください。
学校に行かないって、本当に悪いことですか?

ましてや、
学校には行かなくても、
図書館には行っている、というのはむしろ、いいことではないですか?
引きこもってゲームばっかでも、得られるものも、実はある。
鎌倉市教委、図書館ツイート削除を検討 理由は「不登校を助長する」からではなかった
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150828-00000007-jct-soci

結局、このツイートの全文を見ても、
「不登校を助長する」とか、
「自殺を助長する」とかいう人たちは、
文脈を読む力もないし、
本当に大事なものの、優先順位がわかっていない人たちなんだと思う。



だって、
「そもそも学校ってなんの為に行くんだっけ?」
と考えれば、最終的には、
「生きる為」
というのは、明らかだ。

学校で学ぶ知識や、社会性は、
あくまで、仕事をする為、そしてそれによって生活するお金、力を得る為だろう。
だから、
その為に行く学校で、


「死ぬほど」嫌なことがあって、
「死んで」しまったら、
なんの意味もない。
それなのに、「図書館に行って生きる」ことよりも「学校を強要されて死ぬ」
方がいいとでも言うのだろうか。


それに、
「図書館に行って、学校に行かないのを良しとしない人」は、
「なんの成果も出さなくてもいいから、その場にいることが大事」
というまるで、残業する必要ないのに、空気的に残ってしまう会社員のような精神を身につけさせてたいのだろうか?


そんなくだらない能力よりも、
自ら、図書館という自分の生きる場所を「見つけ」、
そして、自分の興味のあるもの、それが書いてある本を「選び」、
知識を得て、その子らしさを、「自分で育てる」
という”主体性”が身についた方が、よっぽどいいのではないだろうか。


自ら死ぬことが、なぜいけないかはわからない。
生きていかなきゃいけない理由も、説明はできない。
でも、
わかっているのは、
死んではいけない。生きよう。生き延びよう。
それだけだ。


人生を180度変えるほど、
素晴らしいことは起きないかもしれない。
でも、
一緒に生き延びよう。
一緒に歩いていこう。