2015年12月17日木曜日

人の死によって、再会は果たされる

人生は、永遠の学校のようなものさ。
30才だろうと50才だろうと、
子どもの頃の先生は、一生先生なんだ。
四元壯


嬉しくて悲しい日

日々は、よっぽどのことがないと、
あまり変化なく過ぎていってしまう。

交友関係も、
大人になると、
大体同じメンバーでばかり会うようになる。

だから、中学校の頃の同級生とかも、
よっぽどのことがなければ、
会うことなんかほとんどない。


でも、
そんな変化のない日々も、
人の死によって、急に変化をもたらされることがある。


今日、
中学校(高校)の頃の、国語の先生のお通夜に行ってきた。
その先生は、
まだ44才という若さで、
奥さんもまだ若く、お子さんもまだ5才で、
パパの死をわかるはずもなく、
お通夜中も、楽しそうにスキップをしてたくらいだ。


中高一貫の高校で、
俺は、高校1年でやめているから、
その先生には、1年か2年しか習っていないので、
すごく悲しくて号泣してしまう、ということはないのだけれど、

ワンパクだった中3の頃の俺を、俺らを、
めんどくさがりもせず、
国語の研究室を溜まり場にさせてくれ、
ビートルズのビデオを見せてくれた、
優しくて、根気強くて、ロックでファンキーだった先生のことは、
今でも容易に思い出すことが出来る。


そんな先生のお通夜に行くと、
やはり、当時の先生たちも沢山来ていて、
同級生も何人か来ていた。

人が死んだ、というのに、
正直、
ひさしぶりに皆に会えて、
ちょっと嬉しい気持ちがあった。
(10年以上会っていないやつもいる)


生活指導の、超怖い体育の先生を見ると、
いまだに背筋を伸ばしてしまうし、
タバコを吸っている奴らは、
タバコを隠さなきゃいけない気になるとも言っていたりして、
当時の感情をそのまま思い出してしまっていた。

俺らも30才だし、
それなりに歳を取っているはずなのに、
相変わらず先生は先生なんだな、
と思った。


人生で、
懐かしい人と会える機会は、
本当に限られている。

結婚式とお葬式だ。
ただ、結婚式は、
キャパの問題や、性別?的な問題や、親族的な問題で、
呼びたい人全員を呼べるわけではない。

だから、人生においては、
お葬式が、
懐かしい人と再会できる数少ない機会だな、
と思う。


悲しいけれど、皮肉だけれども、
死んでしまった人のお陰で、
また、人と再会する。
それは、必ずしも会いたいと思っていた人たちばかりではない。
けれど、
それを機に、また新しい人間関係がうまれることは多いに考えられる。


だから、
悲しいけれど、本当はいやだけれど、
死んでしまった人に感謝をし、
その再会という出会いを大切にしていきたいと思う。


the chocolate box
四元壯















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