2015年7月7日火曜日

たなばたぼたもち

人生は、織姫と彦星の物語みたいなものさ。
いつだって、デートは一日限りなのさ。同じ相手だろうとね。
四元壯



今日は七夕

七夕ですね。めでたいですね。
見上げれば、その空の中で、
愛し合う二人が、楽しく逢瀬を交わしていると思うと、
幸せな人がいるってことが、
幸せだなぁ、
なんてすら、思えてしまいますよね。


幸せとは
幸せな二人、なんてさらっと書いたけれど、
一体、幸せってなんだろう、とふと思うことがある。


こないだ電車に乗っている時に、ある景色を見て色々と妄想をしていた。

ーーーーここから妄想がまじりますーーーー
小さな子どもをベビーカーで連れているママと、
その反対側のイスには女性がひとり。


妄想では、
その女性は結婚していなくて、彼もいない。


その女性の近くで、
子どもをあやすママ。


女性は、そのママを見て、
「わたしは、結婚もしてないのに、子どもなんか連れて、見せつけてんじゃねーよ」
と思う。
「幸せを見せつけやがって」
と。
ーーーー妄想いったんおしましですーーーー


と、ここまで妄想して思った。


この女性が仮に、そう思っていたとして、
でもちょっと待てよ・・・


本当に、このママは幸せなのだろうか?
と。


ママは、
もしかしたら、生みたくなくて子どもを産んでしまったかもしれない。
もしかしたら、子どもは大好きでも、旦那とすごく仲が悪くて、家を出たいけれど出れないのかもしれない。
もしかしたら・・・


と思った。


人は、自分が見たものでしか物事を捉えられない

スポーツ選手が優勝して、トロフィーを持っている場面を見て、
血のにじむ努力をしていることや、
もうやめようか迷い、それでも特訓にのぞんだ日があったことなど、
本当にリアルには想像できない。


きっとそれと同じで、
自分が欲しいと思っているのに、手にできないものを持っている人を見ると、
それだけで、幸せ、と思ってします可能性を持っている。


人は、自分が見たものでしか、基本的に物事を捉えらえない。
まして、大人になると、想像力をいい方向に働かせるには、
常日頃から意識していないと、
あっという間に悪魔のささやきで、
自分の考えやすい方、楽な方へ逃げてしまう。


だからこそ、
the chocolate boxは、
子ども心を忘れない人間でありたいし、
子ども心を思い出してもらえるような音楽をやっていきたい。
子ども心を忘れないお手本:ビートたけし


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2015年7月6日月曜日

思い出すために

人生は、落ち葉拾いのようなものさ。
過ぎ去った思い出を、大切に抱えて生きていくんだ。
四元壯




記憶の引き出し
人が、過去を思い出す瞬間は、なにが起きているんだろう。
ある匂いをかいだ時。
お湯割を、お湯先、焼酎後で作る時。
そして、ある音楽を聞く時。

ふとした瞬間、
その場とは、全く関係のないことを思い出すことが多々ある。

記憶を引き出すものというのは、
極めて、”非”論理的なものだ。
特徴のあるお酒の飲み方は、親父やじいさんを思い出す





嗅覚≧聴覚>視覚
うちのドラムの土屋君から聞いた話。
土屋君が、学生の時、
老人ホームか何かの施設で、吹奏楽の演奏会で、
昔の歌謡曲を演奏したら、
もう、
アルツハイマーなどで、子どもの名前も思い出せないおじいちゃんが、
一緒にその歌を口ずさんでいたことがあったらしい。


その話を聞いた時、
そして、こうしてブログに書いている今も、
ちょっと泣きそうになる。


音楽を通すことで、
少し、悲しいさびしい気持ちの人たちが、
一瞬だけでも楽しかったり、嬉しかったりする可能性があるから、
やっぱり、音楽はすごいなぁ、思う。


仮に音楽じゃなくても、
匂いでも、視覚的なデザインでも、
ある人とある人が、
過去を思い出し、共有することが出来るなら、
なんでもいいとも思うけど、


音楽をやっている僕たちとしては、
自分たちの音楽で、
そういう風に、誰かに幸せの瞬間を提供できたら、
それは売れる売れないに関わらず、
とても幸せなことだと思う。
アルツハイマーをテーマにした「君に読む物語」でも、音楽が記憶をよみがえらせる





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2015年7月5日日曜日

恋人の条件

人生は、まるでアップデートし続けるコンピューターのようなものさ。
どれだけ進化し続けたって、完成なんてないんだ。



コンピューターラブ
映画「her」を見た。
人格を持った人工知能(OS)の女性と、主人公のおっちゃんが恋に落ちる、
という映画だ。

個人的な感想では、
まぁ、まぁまぁかなぁ、
という感じで、
設定の面白さで勝負した映画、という感じがする。

まぁ、素人評論家の批評なんかさておき。

この2人は、
出会って、瞬く間に恋に落ちる。

OSの女性はともかく、
おっちゃんの方は、
OSのことを好きになる、
なんて、手にした時は、
夢にも思っていなかったはずだ。

でも、
おっちゃんの性格に合わせて、
楽しい話も出来て、
相談にも乗れて、
メールやデータの整理も秘書以上にしてくれて、
そして、
声も人とまるで同じの、
このコンピューターに、
おっちゃんはあっという間に恋に落ちる。



恋するのに、必要なものはなに?
当然ながら、そんな2人には、
すれ違いが生じはじめる。

その大きな理由のひとつは、
「肉体がない」ということだ。

いくら、
価値観が合っても、
同じ景色を共有出来ても、
愛の言葉を伝えあっても、
肉体がないゆえに、
愛に限界が来てしまう。


恋人として愛し続ける条件は、
お金だったり、
性格の相性だったり、
ルックス的なものだったりが、
よくあるものだと思うけれど、


なにより必要なものは、
「触れ合えるか」ということなのかもしれない。


人は、
温もりがすごく必要で、
目に見えない全てのものは、
肉体を通して、はじめて、
2人にとって、意味のある、好きな理由として解釈出来るものになるのかもしれない。


触れ合うと、
相手の体温を感じる。
冷たかったり、あったかかったり。


それは、
人が、ひとりではない、
という何よりの証拠で、
それを感じた時に、
きっと、心のどこかで、
安心を覚えるのだろう。


だから、おそらく、
このままコンピューターが進化して、
ロボットと心が通じあったとしても、
人には人が必要なんじゃないかな、
と思う。














2015年7月4日土曜日

サービス精神旺盛

人生は、ファミレスみたいなものさ。
数ある選択肢の中から、どれかを選ばないといけない。
四元壯



サービス精神に気づけるか?

サービスって、なんだろうか?
俺、四元は実は、元ホテルマンで、サービス業のど真ん中にいた。
学生時代も、
デニーズ、ベックス、ステーキ屋・・・
常に、接客業をやっていた。

そういう場所では、
サービスっていうのは、割とわかりやすい。

いい笑顔で接客したり、
カフェモカの生クリームを多めにしたり、
泊まる部屋を、グレードアップしてあげたり。

そういうのは、すごくわかりやすいサービスだ。



今日、こんなことがあった。
練習をするために、夜中の1時に急遽スタジオの予約を取り、
15分くらい前に着くように行った。

夜中のスタジオは、スタッフは1人しかおらず、
俺が着いた瞬間は、スタッフがいなかった。


そして、2分くらい経ったころ、
スタッフが現れて、
「カードお持ちだったら、お出しください」
と言った。
0:50のことだ。

そしたらなんと、
「一番上の階のお部屋です。どーぞ!」
と、言うのだ。


バンドマンならよく知っていると思うけれど、
スタジオに10分前に入れてもらえるなんて、
そうそうにない。

俺は、飛び上がるほど嬉しかった。
そして、
すごく気持ちよく練習ができた。

音楽は、1秒1秒が勝負だから、
5分早く入れれば、5分の曲が一回できてしまう。
すごく大きい違いだ。


自分を褒めるわけではないけれど、
でも、このスタッフさんのサービス精神は、
「当たり前」
と思っていたら、気づかなかったことだ。

もし、このサービス精神に気づけなかったら、
嬉しさも感じず、練習もノリノリにはならなかったかもしれない。

だから、
このスタッフさんのサービスに気づけた自分を褒めてやりたい。笑



文句をつけるならば、普段は感謝を

最近、すごく気をつけていることがある。
普段、何もない時は、「ありがとう」とか感謝のことばを伝えないのに、
何かあると、
例えば、レストランで料理に異物が入っていたり、
そういう時はすかさず文句を言う人がいる。


でも、いつもはおいしい料理を、気持ちよく食べさせてくれているとしたら、
それにはちゃんと気づいて、サンキューを伝えるようにしないと、
自分自身、人生 を損してしまいそうな気がしますよね。





















2015年7月3日金曜日

主役で決まる。

人生は、終わることのないミュージック。
奏でることは、やめてはいけないよ。
四元壯




オーケストラ?吹奏楽?

ユーフォニアムというアニメがある。
高校の吹奏楽部が舞台のアニメで、
中学からユーフォニアムという楽器を吹いている主人公の女の子が、
楽器を変えたいと思っていたのに、めぐりめぐって、結局その楽器を担当する物語だ。


今日、うちのドラマー(アニメ、ドラマのドラマではなく、ドラムを叩く人ですよ)に、
聞いてはじめて知ったのだが、
「オーケストラ」と「吹奏楽」は違うらしい。


オーケストラは、
弦楽器を主役とした音楽で、
吹奏楽は、
管楽器を主役とした音楽らしい。


それまでは、そんな違い、知らなかったけれど、
その説明を聞いて、すごく納得した。
←オーケストラ



主役は、誰?

主役になる楽器で、呼び方が変わる。
ルーが入るとカレーで、
醤油がベースだと肉じゃが、
みたいなもの・・・?


いや、違うか・・・。


なんだか、わかったような、わからないような感じになってきた・・・
だけど、
ボーカルの代わりに、ピアノが全く同じメロディを奏でていたら、
確かにジャンルも同じとは感じないかもしれない。


POPSが、ヒーリングミュージック、
というジャンルになったり。


ヒカレアウのが音楽

主旋律が同じでも、楽器が違うと、ジャンルも変わるかもしれないとして、
でも、それも考えてみたら納得だ。

だって、
主旋律を奏でる楽器が違うと、
それを支える楽器も、表情を変える。

例えば、楽器ではなく、歌う人が違うだけでも、音楽が変わる。

ボーカルが、
力強く、激しく歌を歌う人だと、
楽器隊も、自然と力が入るし、ミュージシャン気質が強い人は、
負けるか、と張り合うことさえする。

かたや、
ボーカルが、すごく声が優しく、ささやくような(でも、力強い)歌を歌う人だったら、
楽器隊は、優しく控えめに、歌より目立たないように演奏するだろう。

だから、
奏でる楽器や、歌う人で、音楽は大きく変わる。

魅力的な演奏者には、
お互いに惹かれるのが、ミュージシャン。
相手の魅力をいかす為に、
弾き合うのが、ミュージシャン。

お互いに”ヒカレアウ”ことで、
聞く人にも心地いい、Good enoughなミュージックが今夜もどこかで生まれているだろう。


























2015年7月1日水曜日

ロボット楽団

人生は、アルゴリズム体操のようなものさ。
何の意味もなさそうなものが、連続することで強い意味を持つ。
四元壯




ロボット時代の到来

21世紀は、ロボット世紀。
コンピュータが世界中に、あらゆる階層の人たちに普及した20世紀を経て、
21世紀は、ロボット世紀になる。
と、ビル・ゲイツだか、誰かが言ったらしい。

実際、ニュースを見ていると、
ロボット関連のニュースがない日は、ないくらい、
ロボットが今盛んだ。

日本でも、Pepper君をはじめ、ロボット掃除機のルンバや、三越では受付ロボットまで活躍している。

参考:

ヒト型ロボット、浴衣でご案内 日本橋三越で受付係

「ペッパー」1分で完売 ソフトバンク、増産目指す



人はロボットに仕事を奪われる?

そんな中、
「このままロボットが進化したら、人は仕事を奪われるぞ」
なんて、警戒する人がいるようだ。

確かに、
産業用ロボットは、工場で大活躍しているし、
最近は、家庭用のロボットも活躍しだしている。
このまま、この早さで進化を続けたら、
今、人がやっている仕事のほとんどは20年後には、
ロボットがやっている可能性もあるかもしれない。

参考:


ロボットが音楽を出来るようになったら、ミュージシャンはいらないか?

ロボットが人に代わって、多くのことが出来るようになった時、
きっと楽器を演奏するロボットも出て来るだろう。

音程、リズムはきっと完璧だ。
なんなら、ひとりでいくつもの楽器の音も出せるかもしれない。
ストリングスから、オルガン、ドラムの音だって出せるかもしれない。

でも、絶対に、
ミュージシャンに代わることはないと思う。

なぜなら、
音楽は、作業ではない。

例えば、
好きな人と手をつなぐ時、すごくドキドキしたり、嬉しかったり、安心したりすることがある。
それは、手をつなぐという”作業”をしただけでは、きっと得られない感覚だろう。

音楽も、それと同じだと思う。
演奏する人の手の厚さや、その時の感情、ほろ酔いかシラフか、
恋人と別れたばかりか、出来たばかりか・・・・
そういうプログラム出来ない、細かく、不安定で、不確定な要素が、
全て繋がり、積み重なって、
そのミュージシャンの音として出て来る。

もし、ロボットの奏でる音が、
音程も、リズムも、全てそのミュージシャンと同じだとしても、
聞いてる人が感じるものは絶対に違う。

だから、
ミュージシャンには、音程やリズムよりも、
重要な何かがあるんだと思う。

















評価は気にしない。気にいってもらおうとしない。

人生は、まるで鏡の中の迷路のようだ。
いつだって、いつまでだって、自分自身と向き合っている。
四元壯



落とし穴は評価を気にした先にある

こないだの北野映画と関連するが、
(参考:北野映画の魅力)

北野武は、評価は気にしないようにしている、という。
1996年の国際映画シンポジウムで(キッズ・リターンが公開された年)、
各国の監督たちから質問を受けながら答えいた。


「自分自身、一番怖いのは、評価を意識しだして作為的になること
これをやればウケるだろう、というのが先行してしまう自分が悲しい。」
北野武


”評価をされる”というのは、誰しも悪い気はしないものだと思う。
むしろ、嬉しいし、気持ちいいし、
普通は一度味わったら、もう一回もう一回となるだろう。

しかしタケシは、それを自ら律する。
それは、他人の評価を気にしたら、
自分の中にあるものを、自分が最初にイメージしたものを正しく表現できなくなるから、
だという。

北野武くらいになれば、
他人がウケる映画を作ることは、そんなに難しいことではないと思う。

でも、それをしないのは、
自分自身が悲しいから、と自分の感情や感性を大切にしている。


北野映画のサントラを多く手がけている久石譲も

久石譲は、若い時は現代音楽、とりわけ前衛芸術に傾倒していて、
4分33秒ピアノの前に座っただけで一切引かない”曲”(それ曲なの?というw)などを聞いていたらしい。

ただ、ある時から、
芸術としての音楽ではなく、多くの人に聞かれる”街の音楽家”になろうと思い、
そこから、ジブリのサントラなどを手がけはじめたらしいのだが、


久石譲も北野武と同様の発言を、自著『感動をつくれますか?』の中でしている。


「曲を書く際に、人を感動させてようとか、美しいメロディーを書いて泣かせてやろうと考えているわけではない。監督に気に入られるような映画音楽をつくろう、とも考えないようにする。
その仕事、その映画にとって本当に必要なものをきちんと提供することが大切なのであって、まずは僕自身がその目的を達成できるかにある。
それを映像作家としての立場で監督が気に入ってくれれば、ああよかった、となる。
結果とはそういうものだ。
はなから監督や観客に気に入ってもらうことを意識してつくることはない。」
久石譲


多くの人から支持されるのと、迎合されるのは違う

きっと、探せばもっと多くのアーティストから、同様の発言は拾えるだろう。

アーティストは、
多くの人に支持、応援をしてもらわないと成り立たないものだろうけど、
だからと言って、
「こういうのやっとけばいいんでしょ?」
的に表現をし出してしまったら、
それはただの迎合で、アートでは決してない。

だから、”期待外れ”であろうとも、
”予定調和”でなくても、
アーティストは、
自分の中にほとばしり、浮かび上がっているものを、
イメージに忠実に、決して他人に左右されず、
表現することが求められているのだろう。