2015年7月31日金曜日

ダンディズム

人生は、突然始まるキャッチボールのようなものさ。
いきなりボールが飛んできて、
その反応が、人格を全て表すんだ。
四元壯



想定外の出来事
事故は、突然起きる。
事故は、考えもしなかった形で起きる。


人生の、多くの出来事は、
そういう意味では、
全て事故のようなものだ。


喜びも、悲しみも、
全て突然。


反射的に取る行動が、その人の本当の姿
そういう、突然の出来事にあったとき、
どういう反応をするかで、
その人の本当の姿が見える。


何も、
交通事故や、
身近な人の死や、
大好きな人に振られたり、
会社を突然クビになるようなことばかりでなく、


政治の動きとか、
そういうのに対する反応でも、
その人のことがわかる。


別に、何が正解ということはない。


ただ、
いつも参考書を持って、戦えるわけではない。
つまり、
全てにおいて、
突然なんだ。


そういうときに、
堂々としてられるか、
他人のせいにするか、
逃げるのか。


かっこ悪い男には、なりたくないと心から思う。


音楽をやっていると、
きっと多くの場面で、
心を大きく揺さぶられることがあるだろう。
事務所に入らないか。
そしたら、有名になれるぞ。
ただ、それには条件がある。
とか。
身近なことで言えば、
そんなこと、もうやめときなよ、
と言われてしまうとか。


でも、
そんな時こそ、
ダンディズムだ。


ダンディーに堂々と、
一緒に踊ってしまわせるような、
ミュージシャンでありたい。


ザ・チョコレートボックス
四元壯














2015年7月30日木曜日

歴史を知ること

人生は、ポッケに入れたチョコレートのようなものさ。
大切にしまい続けていると、いつの間にか溶けてしまって、食べることもできなくなってしまうのさ。
四元壯



必ずいる。歴史に詳しい人。

俺は、学生の頃から歴史が苦手だった。
大学受験は、世界史だったが、
最後の最後まで放置し続け、
本番では、前日くらいにたまたま熟読した中国史が中心の問題で、
運に助けられた、という出来事は覚えているが、


その時覚えていたはずの中国史は、
今は全く覚えていない・・・


歴史に詳しい人というのは、
必ず周りに一人はいる。


「だからあの時、武田はさ」


みたいな。
まるで、 中学の時の思い出と同じレイヤーで、
歴史を話せる人がいる。


そういう人は、本当にすごいなぁ、と思う。
単純に歴史がすごい好きで、
ということはわかるが、
やはり、「好き」か「好きじゃないか」というのは、
すごく大きな差なんだなぁ、と思う。


話と関係ないけど、俺が歌った「わたがし」

歴史を知る人、知らぬ人

俺の尊敬しているホリエモンこと堀江さんも、
おそらく歴史に詳しい人だと思う。


堀江さんのメルマガの、Q&Aコーナーでの一節
読者: 今の金融システムはクラッシュして、ゴールドの時代が来て、今の1000倍くらいにはなる時がいずれ来るそうですが、堀江さん、どう思いますでしょうか?

堀江: ありえない。クラッシュしてもすぐに元に戻ります。
この確信に満ちた一言が、
歴史を知っているか、知らないかの違いなのではないかと思う。


「歴史は繰り返す」
とは言われるが、
テストでいい点を取るような歴史の覚え方ではなく、
その事件が、
なぜ起きたのか、どうなったのか、
といったことを、おそらく構造的にちゃんと覚えている人には、
「あ、この流れは、あの時代のあれと一緒だな」
とわかるんじゃないかと思う。


モヘンジョダロ「死の丘」は、古代の核戦争が起きた証拠だと言われている

音楽もまた、
流行は繰り返される。
コンピューターミュージックが流行すれば、
今度は、
思いっきり、アナログな、生楽器なものが流行ったり。


俺ら、ザ・チョコレートボックスは、
歴史のどのあたりにいて、
世界はどこに向かっているのか。
流れにしっかり乗っかっていかなければと思う。


ザ・チョコレートボックス 四元壯






2015年7月29日水曜日

流行か?パクリか?

人生は、コピーロボットのようなものさ。
一見難しそうでも、ボタンひとつで、簡単にモノマネできてしまうんだ。
四元壯



悔しいけれど、思惑どおりになってしまうCM

まずは、これを見て欲しい。

いかがだろうか?
まさに、タイトルどおりの行動をとってしまわなかっただろうか?


これをはじめて見た時は、
「くそー!!!ひっかかった!!」という想いと、
「ひっかかっちまったぜーーー!!」という、ちょっと楽しい気持ちが入り混じっていた。


テクノロジーがこれまでにないくらい発展して、
誰でも、超簡単に、すごい映像を作れてしまう時代でも、
人の心理をついた、古典的手法で、
いくらでも面白い映像は作れるんだな、
と嬉しく思った。


では、これを見た時どう思いますか?

こちらはどうでしょうか?
いかがだろうか?
つい、白衣の人数を数えてしまったのではないだろうか?


俺は数えてしまった。
数えてしまったが、
今度は、
「ちくしょー!!ひっかかっちまったぜ!!」
という、ちょっと騙されて嬉しい感はなんだかなかった。


それは、おそらく、
「これ、あれのパクりやん」
という気持ちがあったからだと思う。


でも、
ネットの世界は時系列がバラバラだから(ネットに限らないか・・・)、
俺が最初に見た方が、
あとに発表されたものかもしれないけれど、
それでも、
俺は最初に、1本目の方を見ているから、
なんだかなぁ、
という気がどうしてもしてしまった。


流行ですか?ただのパクリですか?

世の中には、
全くの”オリジナル”なんてものは、
ほとんど存在しない。
世の中の、オリジナルと呼ばれているものだって、
本当は、元ネタがあったりするものだ。

だから、
”パクリ”と”パロディ”と”オマージュ”と、
どれも、別に悪いことではない。

だけど、
あたかも「どう?このCMすごいでしょ?はじめて見るでしょ?」みたいに、
自分がオリジン感を、しれっと出していたら、
それは、どうかなぁ、という感じがする。


流行だったら、
いろんなところでいろんな人がやっているから、まぁいいのかもしれないけれど。


音楽も、
パクリやオマージュやパロディや、
は難しい線引きだ。
でも、
きっと必ず、俺たちチョコレートボックスにはチョコレートボックスにしかできない
エッセンスがあるはずだから、
それをうまく、今までの音楽と融合させて、
独特のものを作っていけたらと思う。

ザ・チョコレートボックス 四元壯







2015年7月28日火曜日

あるべき姿のあるべき姿

人生は、手直ししはじめた粘土細工のようなものさ。
ちょっと違うな、と思って手をいれはじめたら、
もうどこまでやればいいかわからくなるんだ。
四元壯



高校球児、一夜にして世界の人となる

本当に今という時代はすごい。
一夜にして、一人の野球少年が”世界の人”となった。


いわゆる「ヌンチャク君」と呼ばれる代打の少年らしいのだが、
このバッターボックスでのパフォーマンス(?)に、
ダルビッシュ有選手がツイッターで反応し、
一躍、世界中で動画が見られることとなった。


なんとその再生回数は、元動画だけで、
856万3228回!!(7/27時点)
パクリ動画や、パロディ動画を入れるとおそらく、
1000万再生は軽く越えているだろう。



そして、注意大好き高野連の登場

そして、やはり出ました。
高野連の「注意」。
まぁ、このバットさばきは、なかなかに危ないから、
しょうがないけれど、
とはいえ、高野連のコメントは、
「余計なパフォーマンスをするな、ということで、ガッツポーズも禁止しているぐらい」
とのこと。
「余計なパフォーマンスをするな」
って一体なんなんだろうか。
ガッツポーズは、パフォーマンスなのだろうか?
スポーツは勝負の世界で、
状況が切迫している時ほど、
うまくいったら、
衝動的にガッツポーズをしてしまうのは、パフォーマンスではなく、
自然な行動ではないのだろうか?
なぜ、
大人はこんなにも、形にはめたがるんだろうか。
「あるべき姿」を考える人の「あるべき姿」を考えるべきではないか。


一概に見るのではなく、しっかりとそのものを見る

きっと、規制や禁止をしないと、
真似するものが出てきたりして、収拾がつかなくなる、
という事情もあるのだろう。


だけど、その事象は、
本当に、世間(今はツイッターとかのSNS)やテレビで言われているようなものなのか、
見ていないで、「けしからん!」となっていることも多いような気がする。

一般論でくくるのは簡単だ。

「今時の若者は・・・」
「女って本当・・・」
「オヤジってさぁ〜・・・」


確かに、世代だったり、地域だったりで特徴はあるかもしれない。
だけど、
ひとつひとつ、ひとりひとりちゃんと見てみると、
やっぱりそう簡単にはくくれないことだらけだ。


決めつけてしまった方が「考えなくて楽」だから、
つい、そうしてしまうが、
ちゃんと、そのものをじっくり見る。
丁寧に生きる。
それを意識しないと、とんでもない大人になってしまうんじゃないかって思う。


ザ・チョコレートボックスの音楽も、
丁寧に、同じ「ラ」とう音にも、いろいろな表現があるってことを理解しながら、
グッドイナフなミュージックを奏でていけたらと思います。













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<ライブ情報>
8月29日(土)お昼@下北沢daisy-bar
今回はお昼のライブ。ライブ後に、下北沢散歩もできますよ♫



2015年7月27日月曜日

クレーム社会と会田誠の作品撤去

人生は、目に見えない敵との戦いさ。
卑怯で臆病なやつほど、姿も見せずに人を攻撃してくるんだ。
四元壯



日本の”精神的”沈没はもう始まっている

多くの表現者を揺るがしているであろう出来事があった。
会田誠の作品が、観客からのクレームで、撤去される、という出来事だ。

このことについて書いた本人のtumblrが、撤去反対という声とともに拡散されている。


東京都現代美術館の「子供展」における会田家の作品撤去問題について 会田誠
http://m-aida.tumblr.com/post/124971450230/2015%E5%B9%B47%E6%9C%8825%E6%97%A5

クレームの件数は1件。
クレームの内容は、「子供展に相応しくない」。
ということらしいが、


「子供展に相応しくない」
というのは、誰の何基準なのだろうか?
この人の言いたいことを、ちゃんと翻訳してあげると、
「私が、子供に、見せたくない」
というだけのことではないのだろうか?
もしくは、
「私が、この作品を見たくない」
ということではないだろうか。


美術館に芸術を見にきて、
芸術にクレームをつける、というのは、
プロレスを見に行って、
殴り合っているのが不快だからやめろ、
と言うようなものではないのだろうか?


芸術を見る人の、
心構えや教養、そして度量が完全に欠如してしまっている。


しかし、これは一時が万事、氷山の一角だと思う。
日本はもう、こういう人間が増えきってしまっていると思う。


過去記事:規制ばっかりする今の日本。キセイの先にあるギセイ
http://thechocolateboxbitsweet.blogspot.jp/2015/07/blog-post_23.html
作品画像(大きいの見れます)http://mizuma-art.co.jp/aida_mot/Aida_Large.jpg


子どもをなめんな

「子供展にふさわしくない」=「子どもによくない」
ということだと思うが、
このクレームをつけてきた人は、
子どもをなめすぎだ。


子どもは、とても多くのことをわかっている。
とても多くのことを、よく見ている。
そして、大人よりも遥かに強い感受性で、色々なことを感じている。


それに、
子どもが、大人になる時は、人それぞれだ。
10才で大人になる子どももいれば、
40過ぎたって、大人の顔した子どもはいくらでもいる。


親として、大人として、あるべき姿は、
「親の考えに沿って、否定や肯定をする」のではなく、
「子ども自身で、物事の良し悪しを感じ考え、選択していく」ということ自体を、
肯定しなければいけないのではないか。
時として、子どもは、正しさを見失い、人殺しさえもしてしまう可能性だって、
なくはない。
でも、そんな明らかに可能性の低いことを考え、あらかじめ多くのことを規制し、抑圧することで、
むしろ、殺人者予備軍を生み出してしまっているのではないか、とすら思える。


食欲も性欲も、睡眠欲も、自己肯定欲も、そういう欲全てがあることを、
大人自身が認めて、子どもを信じるしかないのではないだろうか。


映画「おおかみこどもの雨と雪」の弟は、
中学生にして、突如、自分の生きるべき道を見つけ、ふるさとを旅立った。

素晴らしい芸術は、圧倒的な観察力とぶっとんだ想像力の先にある

そもそも、心を”ゾワッ”とさせない作品に、
芸術として価値なんか、ない。


難解すぎて、意味不明なものも多くあるが、
一般庶民が見て、”ハッピー””気持ちいい””かわいい〜”
なんて作品は、芸術ではない。


芸術で描かれる女には、
ふくよか(=デブ)で、
まぶたのきりっとした(=ひとえ)、
愛嬌のある(=ブサイクな)女も少なくない。


名画でも、決して美人ではない。
芸術は、その作品をつくった人の、
好奇心の結果であって、
それは、圧倒的な観察力と想像力の上に成り立っている。


芸術家は、間違いなく、
多く一般庶民とは、感覚が大きく異なるところがあるだろう。
例えば、
”性器”を忠実に再現する人がいる。
これは、
生命に対する不思議を探求する結果として、
生命の源である”性器”に好奇心がわいてしまった結果、
ということがある。
そこには、”エロ”という発想はおそらくクレームをつける人以上にないし、
教育的にも、真実を知らせる、という意味で悪いことだとは思っていないはずだ。


だから、
芸術を理解できない人は、
美術館を黙って立ち去るか、
自分の中で消化できるまで、
しっかりと自分自身と作品について対話するべきだと俺は思う。
シュルレアリスムとかこんなんですよ。

音楽もまた、クレームをつけられる芸術だ。
ミスチルの「名もなき詩」も、
「脳たりん」という歌詞がNHKではNGとなり、
違う歌詞で歌わされたりもした。


俺らザ・チョコレートボックスの作品は、
今のところ、過激なものはないけれど、
それは、
実のところ、俺自身がブレーキを踏んでいるような気がしなくもない。
聞く人のことを考えるべき、ということと、
芸術は、自分の中を、ありのままに、というこのバランスを
うまくとっていきたい。


ザ・チョコレートボックス
四元壯











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8月29日(土)お昼@下北沢daisy-bar

2015年7月26日日曜日

イルカ問題とナイトワンダーアクアリウム2015

人生は、泳ぎ続ける魚のようなものさ。
例え泳いでいる場所が、
狭い水槽だろうと、海だろうと、
誰かの価値観で生き場所を変えられる方が迷惑なんだ。
四元壯



イルカショーと捕鯨問題

新江ノ島水族館の「えのすい×チームラボ ナイトワンダーアクアリウム2015」に行ってきた。
アートとのコラボレーションで、
水族館に新しい”光”をもたらしていた。


参考:
「ナイトワンダーアクアリウム2015」新江ノ島水族館で開催!チームラボが贈る大水槽の幻想的な世界


光のアートで、魚の見え方が新しい





大盛況のイルカショー・・・しかし、近い将来は廃止に

そして、水族館と言えば、”イルカショー”。
30分前には、
全席が埋まってしまうほどの大盛況。


えのすいのイルカショーは、
内容自体は、それほどすごいものではないけれど、
それでも、
パフォーマンスをしてくれる人とイルカの、
ほっこりした感じは、
見ている人を楽しませていた。


しかし、このイルカショーも、
世界動物園水族館協会(WAZA)という世界の水族館のボスのようなところから、
日本のイルカ漁および、それで得たイルカを使ったショーの中止を言い渡してきた。

そして、さまざまな事情の果て、
結局、日本の水族館はそれを認めざるを得なくなってしまったのだ。

だから、日本の水族館は、
近い将来、イルカショーのない水族館になるのである。



跳ぶねぇ!
ショータイム終了後も、イルカを間近に見に行く人たち

「かわいそう」は誰目線で、どこからどこまでが正解なのか?

ちなみに、その協会いわく、
「イルカ漁が倫理に反する」
とのことで、日本は非難の対象にされているけれど、
「倫理に反する」というその倫理は一体誰が決めるのか?


「かわいそう」とか言うけれど、
それは一体誰目線で言っているのだろうか?
この世のありとあらゆるものの気持ちを、
この人たちは代弁できるのだろうか?


こういう人たちの主張するものは、
「イルカは、知性を持った動物だからかわいそう」
「イルカは、人に近い生き物だから、飼育するなんてかわいそう」
「イルカは、かわいいから、かわいそうだ」
こういうものがほとんどだ。


でも、ちょっと待てよ?


「知性を持っている」の知性ってなに?
「人に近い生き物」ってじゃあ、犬や猫は飼ってないのね?
「かわいそうだから」ってそれ、完全に主観じゃないですか!


と、誰にでも出来るツッコミを入れたくなる主張ばかりなのである。


「動物が、かわいそう」
というのは、もちろんわかる。
俺も、ペットショップのケースに入れられた犬を見ていると、
人間はまだまだ未熟だなぁ・・・
と思ったりする。



でも、結局「かわいそう」とか言う感情自体は、
主観以外の何者でもなくて、
その「かわいそう」を矛盾なく、全てのものに平等に感じるのなら、


じゃあ同じ動物でも、
牛、鳥、豚も、
食べられるのはかわいそうだよね?


生物というくくりでするなら、
貧しくて、学校にも行けない、食べるものもロクにない子どもも、
かわいそうだよね?


となってくると思う。
だから、そういう人に俺が思うのは、
「かわいそう」と思う気持ちは素晴らしいけれど、


張本人の気持ちも聞かずに、
自分たちの思っていることを、そのモノにも当てはめて、
勝手な行動をするんじゃねぇ!

ということだ。


だって、もしかしたら、
飼育係のお兄さんと、無理矢理別れさせられる方が、
イルカは”悲しい”かもしれない。
だから、
自分たちが素晴らしい考えや思想を持っている、と自負するのはかまわないから、
他のものも、そう思っているとは安易には思わないでくれ、
と思う。




それにしても、
クラゲが、キレイだった。
クラゲは、まったりしていた。
クラゲは、のびたり縮んだりしていた。


「海月」と書いて「クラゲ」と読む。
きっと暗い海を、優しく照らしているんだろう。


俺らザ・チョコレートボックスも、
人々の心を、優しく照らす音楽を、
奏でていきたいと思う。



ザ・チョコレートボックス
四元壯













人身事故

人生は、コントロールの効かない満員電車のようなものさ。
立ち往生して閉じこめられても何にも出来ないのさ。
四元壯



依存は、それを失った時にしかわからないし、わかった時には手遅れだ

昨日は、電車で散々な1日だった。


永田町→半蔵門線人身事故でストップ。振替の銀座線も人身事故で遅延。
渋谷→田園都市線の人身事故で、駅もバス停もタクシー乗り場も人で溢れかえる。


こういう自体になった時、
都会に住んでる自分たちは、
いかに電車という交通機関に依存しているかがわかる。


3.11の時、俺は東京に住んでいなかったから、実感がないが、
またそういう自体になった時に、
「よし!歩くか!」
と、潔く言える男でありたいと思う。


電車が止まると、渋谷はカオス。1日の乗降者数は315万人と、茨城県の人口290万人より多い。

怒る人怒らない人

ところで、こういう風に電車が動かなくなった時、
駅員さんを怒鳴りつける人が必ずいるのだけれど、
彼は一体何様なのだろうか。


「お客さまは神様です」
という考えは、もうとっくに時代遅れの考えだ。
利用者も提供者も、人として対等な存在ということを、まだ知らないのだろうか。


こういう時に怒る人は、
怒ることで、電車が復旧するとでも思っているのだろうか?
それとも、日頃からたまっている社会に対する怒りを、彼にぶつけているのだろうか?反骨心?


とにかく言えることは、
落ちてしまったのか、飛び込んでしまったのかわからないが、
人が電車に轢かれて、
電車が止まってしまったのは、
別の駅にいる駅員さんのせいではないし、
そんなことも想像出来ない想像力しか、
おっさんにはない、ということだろう。
(なぜか、おっさんと決めつけている)





「バカヤロー」を言うならば、「ありがとう」もちゃんと言おうぜ

こういう、”わかりやすい”問題があった時には、
文句を言うならば、
普段、
してもらって当たり前だと思っていることにも、
少しは目を向けて、
店員さんが気配ってくれたこととかに気付くようにして、
「ありがとう」って言葉もちゃんと言えるようにしたいですよね。



チョコレートボックスも、
音楽をやれること、
音楽を聞いてくれる人がいること
音楽を出来る場所(ライブハウスがあることとか)があることに、
感謝を忘れずに、活動していきたいと思います。



ザ・チョコレートボックス 四元壯