2015年7月27日月曜日

クレーム社会と会田誠の作品撤去

人生は、目に見えない敵との戦いさ。
卑怯で臆病なやつほど、姿も見せずに人を攻撃してくるんだ。
四元壯



日本の”精神的”沈没はもう始まっている

多くの表現者を揺るがしているであろう出来事があった。
会田誠の作品が、観客からのクレームで、撤去される、という出来事だ。

このことについて書いた本人のtumblrが、撤去反対という声とともに拡散されている。


東京都現代美術館の「子供展」における会田家の作品撤去問題について 会田誠
http://m-aida.tumblr.com/post/124971450230/2015%E5%B9%B47%E6%9C%8825%E6%97%A5

クレームの件数は1件。
クレームの内容は、「子供展に相応しくない」。
ということらしいが、


「子供展に相応しくない」
というのは、誰の何基準なのだろうか?
この人の言いたいことを、ちゃんと翻訳してあげると、
「私が、子供に、見せたくない」
というだけのことではないのだろうか?
もしくは、
「私が、この作品を見たくない」
ということではないだろうか。


美術館に芸術を見にきて、
芸術にクレームをつける、というのは、
プロレスを見に行って、
殴り合っているのが不快だからやめろ、
と言うようなものではないのだろうか?


芸術を見る人の、
心構えや教養、そして度量が完全に欠如してしまっている。


しかし、これは一時が万事、氷山の一角だと思う。
日本はもう、こういう人間が増えきってしまっていると思う。


過去記事:規制ばっかりする今の日本。キセイの先にあるギセイ
http://thechocolateboxbitsweet.blogspot.jp/2015/07/blog-post_23.html
作品画像(大きいの見れます)http://mizuma-art.co.jp/aida_mot/Aida_Large.jpg


子どもをなめんな

「子供展にふさわしくない」=「子どもによくない」
ということだと思うが、
このクレームをつけてきた人は、
子どもをなめすぎだ。


子どもは、とても多くのことをわかっている。
とても多くのことを、よく見ている。
そして、大人よりも遥かに強い感受性で、色々なことを感じている。


それに、
子どもが、大人になる時は、人それぞれだ。
10才で大人になる子どももいれば、
40過ぎたって、大人の顔した子どもはいくらでもいる。


親として、大人として、あるべき姿は、
「親の考えに沿って、否定や肯定をする」のではなく、
「子ども自身で、物事の良し悪しを感じ考え、選択していく」ということ自体を、
肯定しなければいけないのではないか。
時として、子どもは、正しさを見失い、人殺しさえもしてしまう可能性だって、
なくはない。
でも、そんな明らかに可能性の低いことを考え、あらかじめ多くのことを規制し、抑圧することで、
むしろ、殺人者予備軍を生み出してしまっているのではないか、とすら思える。


食欲も性欲も、睡眠欲も、自己肯定欲も、そういう欲全てがあることを、
大人自身が認めて、子どもを信じるしかないのではないだろうか。


映画「おおかみこどもの雨と雪」の弟は、
中学生にして、突如、自分の生きるべき道を見つけ、ふるさとを旅立った。

素晴らしい芸術は、圧倒的な観察力とぶっとんだ想像力の先にある

そもそも、心を”ゾワッ”とさせない作品に、
芸術として価値なんか、ない。


難解すぎて、意味不明なものも多くあるが、
一般庶民が見て、”ハッピー””気持ちいい””かわいい〜”
なんて作品は、芸術ではない。


芸術で描かれる女には、
ふくよか(=デブ)で、
まぶたのきりっとした(=ひとえ)、
愛嬌のある(=ブサイクな)女も少なくない。


名画でも、決して美人ではない。
芸術は、その作品をつくった人の、
好奇心の結果であって、
それは、圧倒的な観察力と想像力の上に成り立っている。


芸術家は、間違いなく、
多く一般庶民とは、感覚が大きく異なるところがあるだろう。
例えば、
”性器”を忠実に再現する人がいる。
これは、
生命に対する不思議を探求する結果として、
生命の源である”性器”に好奇心がわいてしまった結果、
ということがある。
そこには、”エロ”という発想はおそらくクレームをつける人以上にないし、
教育的にも、真実を知らせる、という意味で悪いことだとは思っていないはずだ。


だから、
芸術を理解できない人は、
美術館を黙って立ち去るか、
自分の中で消化できるまで、
しっかりと自分自身と作品について対話するべきだと俺は思う。
シュルレアリスムとかこんなんですよ。

音楽もまた、クレームをつけられる芸術だ。
ミスチルの「名もなき詩」も、
「脳たりん」という歌詞がNHKではNGとなり、
違う歌詞で歌わされたりもした。


俺らザ・チョコレートボックスの作品は、
今のところ、過激なものはないけれど、
それは、
実のところ、俺自身がブレーキを踏んでいるような気がしなくもない。
聞く人のことを考えるべき、ということと、
芸術は、自分の中を、ありのままに、というこのバランスを
うまくとっていきたい。


ザ・チョコレートボックス
四元壯











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8月29日(土)お昼@下北沢daisy-bar

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