人生は、泳ぎ続ける魚のようなものさ。
例え泳いでいる場所が、
狭い水槽だろうと、海だろうと、
誰かの価値観で生き場所を変えられる方が迷惑なんだ。
四元壯
イルカショーと捕鯨問題
新江ノ島水族館の「えのすい×チームラボ ナイトワンダーアクアリウム2015」に行ってきた。
アートとのコラボレーションで、
水族館に新しい”光”をもたらしていた。
参考:
「ナイトワンダーアクアリウム2015」新江ノ島水族館で開催!チームラボが贈る大水槽の幻想的な世界
光のアートで、魚の見え方が新しい |
大盛況のイルカショー・・・しかし、近い将来は廃止に
そして、水族館と言えば、”イルカショー”。
30分前には、
全席が埋まってしまうほどの大盛況。
えのすいのイルカショーは、
内容自体は、それほどすごいものではないけれど、
それでも、
パフォーマンスをしてくれる人とイルカの、
ほっこりした感じは、
見ている人を楽しませていた。
しかし、このイルカショーも、
世界動物園水族館協会(WAZA)という世界の水族館のボスのようなところから、
日本のイルカ漁および、それで得たイルカを使ったショーの中止を言い渡してきた。
そして、さまざまな事情の果て、
結局、日本の水族館はそれを認めざるを得なくなってしまったのだ。
だから、日本の水族館は、
近い将来、イルカショーのない水族館になるのである。
跳ぶねぇ! |
ショータイム終了後も、イルカを間近に見に行く人たち |
「かわいそう」は誰目線で、どこからどこまでが正解なのか?
ちなみに、その協会いわく、
「イルカ漁が倫理に反する」
とのことで、日本は非難の対象にされているけれど、
「倫理に反する」というその倫理は一体誰が決めるのか?
「かわいそう」とか言うけれど、
それは一体誰目線で言っているのだろうか?
この世のありとあらゆるものの気持ちを、
この人たちは代弁できるのだろうか?
こういう人たちの主張するものは、
「イルカは、知性を持った動物だからかわいそう」
「イルカは、人に近い生き物だから、飼育するなんてかわいそう」
「イルカは、かわいいから、かわいそうだ」
こういうものがほとんどだ。
でも、ちょっと待てよ?
「知性を持っている」の知性ってなに?
「人に近い生き物」ってじゃあ、犬や猫は飼ってないのね?
「かわいそうだから」ってそれ、完全に主観じゃないですか!
と、誰にでも出来るツッコミを入れたくなる主張ばかりなのである。
「動物が、かわいそう」
というのは、もちろんわかる。
俺も、ペットショップのケースに入れられた犬を見ていると、
人間はまだまだ未熟だなぁ・・・
と思ったりする。
でも、結局「かわいそう」とか言う感情自体は、
主観以外の何者でもなくて、
その「かわいそう」を矛盾なく、全てのものに平等に感じるのなら、
じゃあ同じ動物でも、
牛、鳥、豚も、
食べられるのはかわいそうだよね?
生物というくくりでするなら、
貧しくて、学校にも行けない、食べるものもロクにない子どもも、
かわいそうだよね?
となってくると思う。
だから、そういう人に俺が思うのは、
「かわいそう」と思う気持ちは素晴らしいけれど、
張本人の気持ちも聞かずに、
自分たちの思っていることを、そのモノにも当てはめて、
勝手な行動をするんじゃねぇ!
ということだ。
だって、もしかしたら、
飼育係のお兄さんと、無理矢理別れさせられる方が、
イルカは”悲しい”かもしれない。
だから、
自分たちが素晴らしい考えや思想を持っている、と自負するのはかまわないから、
他のものも、そう思っているとは安易には思わないでくれ、
と思う。
それにしても、
クラゲが、キレイだった。
クラゲは、まったりしていた。
クラゲは、のびたり縮んだりしていた。
「海月」と書いて「クラゲ」と読む。
きっと暗い海を、優しく照らしているんだろう。
俺らザ・チョコレートボックスも、
人々の心を、優しく照らす音楽を、
奏でていきたいと思う。
ザ・チョコレートボックス
四元壯
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