2015年8月31日月曜日

名声と名曲について

人生は、辞書のページのようなものさ。
自分の名前も、偉業も書かれていたとしても、
読まれずに捨てられる、なんてことだってあるんだ。
四元壯



ロシアの音楽家って、めっちゃいる・・・

自分が何を聞いているのか、
俺は音楽ジャンルをあまりわからない。

という、音楽をやっている人間としてはあるまじき状況にあるのでは、
と思い、

普段何気なく聞いている音楽を、
とりあえず片っ端からググってみることにした。


そして、その第一弾が、
『Ravel:Promenade』
だった。
ググってみた結果、
この曲について、wikipediaから引用すると・・・


ムソルグスキーは音楽史などでは「ロシア5人組」と呼ばれる音楽家集団の1人として良く知られているが(略)

と、書かれている。




・・・・




良く・・・・知られて・・・・いるんです・・・ね・・・・。
すみません。チャイコフスキーくらいしか知りませんでした。



他にも、沢山ロシアの音楽家の名前が出てきているのだけれど、
ムソルグスキーの残した音楽の多くが・・・
リムスキー=コルサコフの弟子であったミハイル・トゥシュマロフが・・・
指揮者クーセヴィツキーの依頼で ・・・
と、まぁこんな調子で、
世界史勉強している気分になりましたが、


とにかくロシアには、すごい音楽家がいっぱいいることはわかりました。



曲は知っていても、誰のかは知らない現象

結局、調べたラヴェルのプロムナードが、
誰の曲なのかは、よくわからなくなってしまったのですが、
とにかく、
その曲は、世界的に有名で(有名で、と言うのも恥ずかしいくらい有名だと思う)、
実際、
クラシックに全く素養のない僕にも、
良い音楽だと直感させる名曲なのです。


クラシックだから、
まぁ、作曲家の名前を知らなくても当然か、
と思うけれど、
でも、よくよく考えてみると、
今の音楽シーンでも、
曲は知ってるし、わりと好きなんだけど、
誰が歌ってるかはわからない音楽、
というのは、少なからずあるなぁ、と思うんです。


そこで、
今日やっと、色んなミュージシャンが、


「自分たちは残らないけど、楽曲は残る」



という意味が理解出来た気がしました。


作者は忘れられても、
いい楽曲は、
世の中に広まり、受け継がれていくんだ、
と。



だから、
自分の中にある「成功したい!」とか「絶対売れてやる!」
という原始的な情熱はすごい大事だけれど、
それよりも、
ひとつひとつの作品を、
丹精込めて、祈りを込めて、
出来る限り、あるべき姿に作り込んでいくことが、
何よりも大事なんだと思う。



どうしても、妥協をしそうになってしまうけど、
もし、
それが、幸か不幸か世の中に広まった時、
墓場で安心して眠っていられるように、
ちゃんと作っていきたいと、
僕は、僕らは思うのです。



<次のライブが決まりました!>

9/26@下北沢DaisyBar(今度は夜です!)
詳細未定


8月にやったデイジーバーでのライブの日に、
ブッキングマネージャの方から、
再度誘っていただき、出演することとなりました。

8月のライブから、日があまり経っていませんが、
9月には合宿もして、
かなりレベルアップをするので、
是非、また見に来てもらえたらと思います。

今度は、ギターの真鍋もいなくなり、
完全3ピースの編成になるけれど、
土屋くんとかおりんと俺の3人だったら、
あなたの心を震わせる音楽が出来ます!

応援、よろしくお願いします!























2015年8月30日日曜日

ちゃんぽん食ったか?

人生は、まるでチョコレートボックスのようなものさ。
あけてみるまで、何が起こるかわからない。
そして、食べてみるまで、どんな味がするかわからないんだ。
四元壯




初・下北沢ライブ

今日は、下北沢DaisyBarでライブでした!
来てくれた皆様、本当に本当にありがとうございます!


初めての、
下北沢でのライブ。


「バンドで勝負をしたいなら、下北沢を通らないといけない」


という気がしていて、
日程の都合だったり、
andymoriが出演していたり、
色々な要素が重なり、
DaisyBarに出演させてもらえ、
初の下北沢でのライブがここで、よかったな、
と思いました。
土屋君もちゃんと写ってるよ



人の目と、耳に触れて、はじめて意味を持つ


5月30日のライブから、3カ月。
いいものを見せる為の時間としては、
あっという間だったんだけれど、
色々と余計なことを考えてしまうには、
長すぎる時間ではあった。



そんな、余計なことを色々と考えてしまっていた時、
あるドラマの話を教えてもらった。


『ちゃんぽん食べたか?』
というドラマの一幕で、
若者がフォークデュオでデビューするまでの話みたいなのだが、
この中で、
主人公のヴァイオリンの先生で、とても厳しい人が、



「芸術は、人の目にさらさないと何の意味もない」



というセリフがあるみたいで、
今日のライブをしてみて、
それをすごく実感した。



みんなで何時間も練習し、
1人でも練習をし、
でも、
なんとなく、これでいいのか、
という不安があるというか、自信が持てないというか、
という状態だった。



でも、
今日、沢山の人に見てもらって、
「良かったよ」
「CD欲しい」
ということを言ってもらって、



この3カ月の練習が意味あるものだったんだな、
と感じた。



音源を聞き返すと、
本当にまだまだなところだらけだけれど、
聞いてもらうことで、
また作品が完成に近づくんだな、
と思いました。


walk with you



これから、もっともっといい曲を作って、
いいライブをして、
みんなが、来てよかったな、元気になるな、
とか思ってもらえるように頑張りますので、
これからも、よろしくお願いします!


今日の映像が近々、めっちゃかっこよくなって出来てくると思うで、
待っていてください!


the chocolate box
四元壯







2015年8月26日水曜日

夢をかなえるぞー!

人生は、動物園のようなものさ。
狭い檻の中の生活を快適と思うか、
広い世界へ飛び出すことを望むか、
それは自分次第なんだ。
四元壯



啓発本の代表作は、やっぱり面白い

ドラムの土屋くんにおすすめされて
「夢をかなえるゾウ」を読んでいる。
主役のガネーシャ。「ガネーシャ」と画像検索かけるとちょっと怖かった・・・


本というのは、
ホントに、
出会いのタイミングが決まっているな、
と思う。


何度も、読んでみようと思ったけれど、
結局読まずにきた本も、
縁があると、いずれ読む時が来る。


そして、その来るべき読む時が、
最適な時なんだと思う。


「夢をかなえるゾウ」もまさに、そんなタイミングみたいだ。


するべきことは、大袈裟で一度きりのものより、小さくても毎日継続すべきもの

この本では、
1章ごとに、ミッション的なものを与えられて、
それをちゃんとこなしていけば、
きっと夢は叶う、
という内容だ。(と思う。まだ途中なので)


そのミッションは、
・靴を磨く
・明日の準備をする
・運がいい、と口に出す
と、どれも実行するのは簡単なものばかりだ。


だけど、
確かに、これを毎日続けたら、
夢が叶うかはわからないけど、
きっと、「デキる人」や「素敵な人」にはなるだろうと思うと同時に、


こんな、なんてことないことを、
「毎日続けられる」という人は、きっとごく少数だから、
だからこそ、
差がついたり、目標に近づけたりするんだろうと思う。


「意思を持って、毎日やること」がどれだけ大変かは、
このブログを毎日書くと決めてから、すごく実感している。
(そして、実際にちょっとさぼっている・・・・)


気を使うな。常識に縛られるな。自分の人生を生きろ。

そして、まだ読み途中ではあるが、
すごく「グサリ」ときたところがあるので、紹介したい。


「求人情報誌を読む」というミッションの章で、

収入が不安定とか、恋人や親が反対するとか、そんな悠長なこと言ってる場合ちゃうで。
自分の能力がいちばん発揮される職種を選ばないかんで。
とんこつラーメンが1番好き、とわかるのはなぜ?他のラーメンも食べたからやろ?

という部分がある。


日本は今、ひとつの会社に正社員として属していると、
他の仕事は、アルバイトでもダメだとされている。
それは、
わりと、徹底してダメ、というよりは、
空気的にダメ、という感じだ。


会社には、給料をもらっているから、
それなりに、忠誠を尽くしたり、感謝したりすべきだとは思う。
だがしかし、


自分の人生だよね?


そして、
一度きりの人生だよね?


我慢して生きることも大切。
だけど、
我慢して、ストレス溜まって、生産性も低いなら、
我慢しないで、好きだったり楽しいことやって、いいもの作ったり、誰かを喜ばせたり、生産性高めたりしている方が、
自分にとっても、
他人にとっても、
世界にとっても、
素晴らしいと思いませんか?


その我慢、本当に必要かな?
本当に、意味あるかな?
誰かを喜ばせているかな?



今は、自己満足かもしれない。
誰にも求められてなんかいないかもしれない。
むしろ、迷惑をかけているかもしれない。
だけど、
きっといつか、
自分たちの音楽を求めて、
それによって、生きる元気をもらう、
という人がきっといることを信じて、
今日も明日も音楽をやります。


8/29、もう目の前。
不安は募る一方だけど、
きっといいライブになる。


the chocolate box 四元壯







2015年8月25日火曜日

需要と供給

人生は、鍋に入れられたアマガエルのようなものさ。
今いる場所にとどまって、いつの間にか茹で上がるか、
さっさと抜け出すか。
the chocolate box 四元壯



楽しいなら、とりあえずやっちゃえばいい

「楽しいけど、これやってたら怒られるかな」
そう思いながら生きるほど、
つまらない人生はない。


鬼がいたなら、豆をまけばいい。


楽しいなら、誰になに言われたってやればいい。


自分が、誰かに何かを言われ、
時に、腕をつかまれたって、
その何かを言ってきた人は、
自分の望みを、何一つ叶えてくれやしない。


そして、
その人に言われたから、自分が何かをやめたとして、
それは、それまでのことにしかならない。
決して、叶うことはない。


偉そうに止める側だった人間も、
いつしか、
止めてた人に雇われるようになるだろう。


権力に守られている人間は、
権力に怯えて生きるしかないんだろう。


自由は、面倒くさいことが多いけど、
面倒くさいことをしたくないなら、
死んだように生きるしかないから、
そんなのはごめんだな。


需要と供給。
きっとどこかで一致するよね。


ザ・チョコレートボックス
四元壯













2015年8月24日月曜日

聴こえない人に、音楽を届ける

人生は、壊れかけのレディオみたいなものさ。
何も聞こえていないのに、みんな聞こえた振りでやりすごすんだ。
四元壯


陽を浴びずとも、育つ花

ひまわりも元気がなくなる季節になってきました。
みなさん、おかわりないですか?


the HIATUSというバンドがある。
そのボーカルの細見さんという超天才に、ある日、
矢野顕子さんからメールが届いたらしい。

そこにあるURLが書かれていて、クリックすると、
黒人のシンガーが、聴覚障害者の人のために、
歌いながら手話で、音楽を届けている映像が流れていた。

その映像に心打たれた細見さんが、
自分のライブでもそれをやるべく、
手話師のペン子さんをゲストで呼んだ。


そして、演奏のはじまる前、
細見さんは、
ペン子さんの手紙を読み上げた。


「今日、この場所に立たせてくれた人たちに感謝いたします。
そして、この仕事を信じ、共に続けてきてくれた、先生、仲間に感謝します」

もはや、この手紙だけで俺はノックアウトされてしまった。


あぁ、そうか。
世界には、
スポットライトをあびていない、
地味で、だけどとても素晴らしい仕事をしている人が、
沢山いるんだな。


普段、光を浴びている仕事と言えば、
ニュースキャスターとか、
タレントもそうだし、
キャビアテンダントとかも、
キラキラしている、憧れの対象となる仕事だろうと思う。

それに対して、手話師や、手話で歌を表現する人は、
そういう仕事とは全然違う、
本当に、やる人が、やれる人が限られてくる、
すごく貴重な、そして重要な仕事だ。


カリスマとはまさにこういう人を言うんだろう

誰かの権利のために戦う人は、強い

ペン子さんが、なぜこの仕事をはじめたのかは、
俺は知らないだけど、
このペン子さんのツイッターを見て思った。

‘音楽が嫌い、苦手。そもそも音楽に興味がない。手話歌?はぁ?どうせ聴者が自己満足でやってるやつでしょ。そういうのを見ると寒気がする。’という環境下でも挑戦しようと思ったのは、誘ってくれたのが細美さんだったから。相手がハイエイタスじゃなければこんな怖い挑戦は絶対にしなかった。
https://twitter.com/pennko/status/548895824160100354
こんなに、素晴らしいことに対してすら、
ケチをつけてくる人がいるんだな。と、驚きを隠せないが、
でもきっと、
こういう人もいる中で、
「あなたは本当に、その仕事、本気で続けられるんですか?」
という試練でもあるのかもしれないと思った。


俺の勝手な憶測だけれど、
きっとペン子さんは、
「純粋に人の役に立ちたい。聴覚障害の人の為に手話を覚えたい」
という思いはもちろんだけど、
それ以上に、


聴覚障害の人が音楽を楽しむという「権利」を、
守らないといけない!


と思ったのではないかと、
俺は思っている。


「誰かの役に立ちたい」
というのは、とてもピュアで、素晴らしい考えだし、
俺も、思ってはいる。
だけど、
「誰かの役に立ちたい」レベルは、
実は、「自己実現」=「自己満足」の域を出ていないのではないか、
と思った。


だから、
「聴覚障害の人の権利を守るんだ!」
というくらいの強い思い、
ひとりよがりで、押しつけがましくなりそうなくらいの、
強い思いを持ってやらないと、
いい仕事、素晴らしい仕事、というのは出来ないのかもしれない。


マズ郎さんの段階欲求説。僕は一番したが一番つよいですね。


音楽も、いつまでも自己実現ではダメ

ボイトレの先生も言っていた。
音楽をやる人は、誰かの心を揺さぶり、感動させないといけない。
いつまでも自己実現の為だけに音楽をやっていては、
人を感動させることなんて出来ない。
と。


まさにそうだな。と思う。
今の自分の音楽や、
その為の、こういうブログ活動とか、
全てが、
どんな役に立っているか、役に立つか、
さっぱりわからないけれど、
きっとどこかで、誰かの為になるはず!
と信じ、続けていきたいと思う。


続けることでしか証明出来ないことがある。


8/29。
いよいよ、今週ライブです。
下北沢デイジーバー。
the chocolate boxの出番は12:30です。
トップバッターです。
お見逃しなく!


the chocolate box
四元壯




2015年8月23日日曜日

オンライン教育の時代は、意思の時代

人生は、使い古しの教科書のようなものさ。
本当に知りたいことは、汚れていたり、破れていて読むことが出来ないんだ。
the chocolate box 四元壯



オンライン教育は、いつでもどこでもだれでも学べる

今、日本で生きる僕らは、学べることのありがたみを、あまり感じてはいない。
勉強をする場所は学校で、
学校は当たり前に存在していて、
むしろ、邪魔くさい存在という方が正しいような気がする。


勉強できる場が、邪魔くさいのは、
きっと、「学びたい」という欲求の前に、
学校という場が用意されてしまっているからだろう。


それに加え、
学校の場合は、勉強以外にも、人間関係とか、
なんとか当番とか、そういうものも邪魔くささに輪をかけているんだろう。


しかし、
世界には、学びたくても学べない人たちが数え切れないほど存在している。
ずっと昔から既知の事だろうけど、
いまだにそんな人たちがいるんだ。


そんな人たちは、
・金銭的
・時間的
・地域的
な問題から、学校という学びの場に行けなかったが、
今は「オンライン教育」という、
PCやスマホでも受けられる教育サービスがある。


もちろん、オンライン教育だって、
金銭的に受けられない人もいるだろうけど、
明らかに、学校でしか知識を得られなかった時代よりは、
教育を受けるハードルは下がっているだろう。


オンライン教育は、現代の寺子屋や!

教育の形も、テクノロジーによって変わる

以前、LINEミュージックやAWAなどの、
音楽ストリーミングサービスという新しいテクノロジー(サービス)の普及で、
音楽の聴き方が変わる、というブログを書いたが、
教育も同様に、テクノロジーによって大きくその形を変えていくだろう。




日本のオンライン教育サービスでは、
Udemy
https://www.udemy.com/
がいい感じがした。

いい感じのポイントとしては、
・内容が、オンラインに最適な量や長さで、区切られている(細切れ時間を使える)
・講師の話が、ちゃんとしている(他のサービスはその場のノリで話しているものも結構あった)
・ 画面の切り替えがうまい(内容によって、スライドアップや、講師アップのタイミングがgood)
・たまたま見たものの、講師の熟女が、なんかちょっと気になる(清水久三子さんらしい)

というところだ。

PCはVAIOです。
オンライン教育は、教育の形をどう変えるのか。
きっと、学校という場自体をなくすか、大きく変えていくだろう。


今の日本の学校は、一言でいうと、
「融通がきかない」
である。


数十人いるクラスで、
みな同じカリキュラムで、
学ぶのが早い人も遅い人も、得意な人も苦手な人も、
同じペースで勉強しないといけない。


なぜ、融通がきかないか。
それは、過去の時代で求められていたことを、
身につけるためのシステムだからだ。


過去の時代で求められていたことは、
「富国強兵」
という、国家のために、全体主義で生きていく人材をつくることだ。
その当時は、
個人ひとりひとりの優秀さや、興味は、
二の次だった。
とにかく、集団行動をできて、指示に従うのが得意な人間が求られていた。


しかし、
今の時代は、
いわゆる「多様性」の社会だ。


だから、同じことをできても、
あまり意味も価値もない。
それよりも、
その人にしか出来ない何かをできるか、
世に価値として提供できるか、
が大事になってくる。


そんな時代にまさにちょうどいいのがオンライン教育だ。


オンライン教育は、
自分の、
学びたいことを、
学びたい時に、
学びたい場所で、
学ぶことができる。


だから、
かつては、「自分の得意なことだけを学び、伸ばす」
というのは、
学べる場所を探す才能自体も必要だったが、
今は、より多くの人が、そういう環境を手にすることができる。
本当に、いい時代になったと思う。


学びたいことを、学べる。裏返すと・・・

学びたいことを学べる、というのは本当に素晴らしいことだ。
でも、
裏を返すと、
「学びたいことがない」人にとっては、
学ぶものがない、ということになる。


学校は、
学びたいことがない人でも、無理やりやらされるから、
なにかしら学問的なことや、学べることに触れることができた。


しかし、
もし、オンライン教育が基本になった場合、
学ぶというのは、
「意思」が必要になる。
つまり、
オンライン教育時代とは、意思の時代なのである。


何を学びたいか。


すごくシンプルだけど、
いざ問われると、答えられない質問。


でも、よくよく考えてみたら、
生きることは、意思を持たないといけないのは、
当たり前のことなんだよな。
と思う。


音楽も意思が必要

今日はスタジオで5時間、バンドの練習をしたが、
音楽も、意思が必要だ、とつくづく感じた。


音楽って、ただ聞いている分には、
「おぉいいフレーズだなぁ」
とか、感心したり、テンションあがったりすることはあって、
なんとなく、自分もできそうな気はするけど、
いざ楽器を手にしてみると、
全然思い通りにいかない。


でも、思い通りにいかないのは、
思い通りに出来ないのではなくて、
「どうしたいか」
が明確でないから、それを表現(正確にいうと、頭の中のものの”再現”)を出来ないじゃないか、と思う。


来週8/29は、
そういう「強い意思」によって作られた音楽をみなさまに聞いてもらうことがやっとできます。


下北沢daisybar。
お昼の12:30。
お待ちしています。


最近は、月・火の夜は四元が渋谷でストリートライブをやったりしているので、
それもぜひ見に来てくださいね。


では。


ザ・チョコレートボックス 四元壯
















2015年8月19日水曜日

不寛容な国・日本

人生は、まるで渋谷を行進するデモのようなものさ。
警察に守られながら、一方的に自分たちと異なるものを、
排除するしか出来ないんだ。
四元壯



もうさ、よくない?

怒ります。怒っています。
今日の私は、もう怒りで頭がいかれています。


もうさ、
一回日本、ぶっ壊そう。
もうさ、
よくない?


盗用疑惑指摘のトートバッグ、佐野研二郎さん「スタッフが第三者のデザインをトレース」と認めるhttp://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1508/15/news017.html 

イヤホン耳に無音で盆踊りhttp://www.sankei.com/premium/news/150816/prm1508160027-n1.html
やっとさ、やっとさー

そんなに、人の揚げ足取りや、クレーム、規制をするのならば、
人のいない世界にいけばいい。


なんで、こんな不寛容な国になってしまったんだ。
日本は。


どっかの誰かが、どっかの誰かのデザインをパクったとして、
それが事実だとして、
それを、
作ってもいない、
関わってもいない、
恩恵も、不利益も受けていない人間が、
あれやこれやと、
色々と見つけてきて、
大声で主張して、
一体なんになるんだ?


そのパクった人が、裁かれて、死刑になれば満足なのか?


この国が、
こんなことになったのは、
戦後教育でも、
総中流時代を経て、成熟したからでもない。


人々の「想像力」が欠如しているからだ。


そのトートバッグを、プレゼントでもらった人がいたとしたら?

この、佐野さん問題は、
俺ははっきり言って、興味はない。
だって、
オリンピックのロゴがどんなものだろうが、
何一つ覚えてはいないし、
それが素晴らしいかどうかなんて、
判断できる基準も素養も俺にはない。


それよりも、
そのオリンピックでどんなドラマが生まれるか、
それにただワクワクすればいいんじゃない、
と思うから。


それに、この佐野さんのトートのデザインパクリ疑惑も、
パクったならパクったで、
それはあまりよくないことかもしれない。


でも、
何も、
それを
作ってもいない、
関わってもいない、
恩恵も、不利益も受けていない人間が、
大声で騒いで、


もし、そのトートバッグを、
プレゼントでもらった人がいたとしたら、
その人は、傷つくんじゃないのか?
もうそのバッグは使えないんじゃないのか?
とーとーとーとばっぐにまで


デザインは、
パクリも、モチーフも、オリジナルも、
境界は曖昧だ。

音楽も、絵も、建築物も、
この世の、
普通の人ではつくれない、
批判するだけの人にはつくれないものは全て、
曖昧なことが多い。


大事なのは、
パクリかどうかより、
それを手にした人が、
満足かどうかだ。


人には、
ボロボロになったけど捨てられないものが、
だれにもひとつはあるはずだ。


それが、
このトートかもしれない。


自分の暇つぶしや、
心地よさの為だけに、
不寛容になるのは、もうやめてもらいたい。


世代をつなぐようなヒット曲が最近は生まれない。
それは、
まさに、この不寛容が、他者を排除しようとしているからなんじゃないかって、
思う。


今夜は怒ってました。
だから、8/29絶対来て!!



ザ・チョコレートボックス 四元壯