2015年8月23日日曜日

オンライン教育の時代は、意思の時代

人生は、使い古しの教科書のようなものさ。
本当に知りたいことは、汚れていたり、破れていて読むことが出来ないんだ。
the chocolate box 四元壯



オンライン教育は、いつでもどこでもだれでも学べる

今、日本で生きる僕らは、学べることのありがたみを、あまり感じてはいない。
勉強をする場所は学校で、
学校は当たり前に存在していて、
むしろ、邪魔くさい存在という方が正しいような気がする。


勉強できる場が、邪魔くさいのは、
きっと、「学びたい」という欲求の前に、
学校という場が用意されてしまっているからだろう。


それに加え、
学校の場合は、勉強以外にも、人間関係とか、
なんとか当番とか、そういうものも邪魔くささに輪をかけているんだろう。


しかし、
世界には、学びたくても学べない人たちが数え切れないほど存在している。
ずっと昔から既知の事だろうけど、
いまだにそんな人たちがいるんだ。


そんな人たちは、
・金銭的
・時間的
・地域的
な問題から、学校という学びの場に行けなかったが、
今は「オンライン教育」という、
PCやスマホでも受けられる教育サービスがある。


もちろん、オンライン教育だって、
金銭的に受けられない人もいるだろうけど、
明らかに、学校でしか知識を得られなかった時代よりは、
教育を受けるハードルは下がっているだろう。


オンライン教育は、現代の寺子屋や!

教育の形も、テクノロジーによって変わる

以前、LINEミュージックやAWAなどの、
音楽ストリーミングサービスという新しいテクノロジー(サービス)の普及で、
音楽の聴き方が変わる、というブログを書いたが、
教育も同様に、テクノロジーによって大きくその形を変えていくだろう。




日本のオンライン教育サービスでは、
Udemy
https://www.udemy.com/
がいい感じがした。

いい感じのポイントとしては、
・内容が、オンラインに最適な量や長さで、区切られている(細切れ時間を使える)
・講師の話が、ちゃんとしている(他のサービスはその場のノリで話しているものも結構あった)
・ 画面の切り替えがうまい(内容によって、スライドアップや、講師アップのタイミングがgood)
・たまたま見たものの、講師の熟女が、なんかちょっと気になる(清水久三子さんらしい)

というところだ。

PCはVAIOです。
オンライン教育は、教育の形をどう変えるのか。
きっと、学校という場自体をなくすか、大きく変えていくだろう。


今の日本の学校は、一言でいうと、
「融通がきかない」
である。


数十人いるクラスで、
みな同じカリキュラムで、
学ぶのが早い人も遅い人も、得意な人も苦手な人も、
同じペースで勉強しないといけない。


なぜ、融通がきかないか。
それは、過去の時代で求められていたことを、
身につけるためのシステムだからだ。


過去の時代で求められていたことは、
「富国強兵」
という、国家のために、全体主義で生きていく人材をつくることだ。
その当時は、
個人ひとりひとりの優秀さや、興味は、
二の次だった。
とにかく、集団行動をできて、指示に従うのが得意な人間が求られていた。


しかし、
今の時代は、
いわゆる「多様性」の社会だ。


だから、同じことをできても、
あまり意味も価値もない。
それよりも、
その人にしか出来ない何かをできるか、
世に価値として提供できるか、
が大事になってくる。


そんな時代にまさにちょうどいいのがオンライン教育だ。


オンライン教育は、
自分の、
学びたいことを、
学びたい時に、
学びたい場所で、
学ぶことができる。


だから、
かつては、「自分の得意なことだけを学び、伸ばす」
というのは、
学べる場所を探す才能自体も必要だったが、
今は、より多くの人が、そういう環境を手にすることができる。
本当に、いい時代になったと思う。


学びたいことを、学べる。裏返すと・・・

学びたいことを学べる、というのは本当に素晴らしいことだ。
でも、
裏を返すと、
「学びたいことがない」人にとっては、
学ぶものがない、ということになる。


学校は、
学びたいことがない人でも、無理やりやらされるから、
なにかしら学問的なことや、学べることに触れることができた。


しかし、
もし、オンライン教育が基本になった場合、
学ぶというのは、
「意思」が必要になる。
つまり、
オンライン教育時代とは、意思の時代なのである。


何を学びたいか。


すごくシンプルだけど、
いざ問われると、答えられない質問。


でも、よくよく考えてみたら、
生きることは、意思を持たないといけないのは、
当たり前のことなんだよな。
と思う。


音楽も意思が必要

今日はスタジオで5時間、バンドの練習をしたが、
音楽も、意思が必要だ、とつくづく感じた。


音楽って、ただ聞いている分には、
「おぉいいフレーズだなぁ」
とか、感心したり、テンションあがったりすることはあって、
なんとなく、自分もできそうな気はするけど、
いざ楽器を手にしてみると、
全然思い通りにいかない。


でも、思い通りにいかないのは、
思い通りに出来ないのではなくて、
「どうしたいか」
が明確でないから、それを表現(正確にいうと、頭の中のものの”再現”)を出来ないじゃないか、と思う。


来週8/29は、
そういう「強い意思」によって作られた音楽をみなさまに聞いてもらうことがやっとできます。


下北沢daisybar。
お昼の12:30。
お待ちしています。


最近は、月・火の夜は四元が渋谷でストリートライブをやったりしているので、
それもぜひ見に来てくださいね。


では。


ザ・チョコレートボックス 四元壯
















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