新しい時代を迎えているようで、結局、
過去の出来事を繰り返しているだけなんだ。
四元壯
世界の行く末
ちかごろ世界が物騒だ。ずっと前から物騒だったのだろうけれど、
パリの事件があってから、際立って物騒になってきている。
今日もこんなニュースがあった。
トルコ軍がロシア軍機撃墜 シリア国境、乗員2人死亡か
http://www.asahi.com/articles/ASHCS5TCCHCSUHBI01Q.html?iref=com_alist_6_01
IS(イスラム国)を巡って、
トルコとロシアが少しごたついているようだ。
21世紀の戦争は、国単位ではなく、
個人単位での戦い、つまり”戦闘”が中心になる、
と言われている。
確かに、今回のパリの事件を含め、
多くの事件は、テロという形で起こされていて、
もはや、本当の的は誰なのかわからないけれど、
しかし、個人的にだれかが、不特定多数を殺そうとしている、
という構図はわかる。
ただ、中心となるのは個人単位の戦闘かもしれないが、
結局、例えば敵がISという個人で動く人たちだったとして、
それらを倒す過程で、今回のように、
国と国の大きな戦い、つまりは戦争がはじまる可能性も、
あるのではないかと思ってしまった。
今年は奇しくも、戦争が終わって70年だ。
70年で、人はどれだけ変われたのだろうか?
どれほど、忘れずにいられただろうか?
どれほど、伝えてこれただろうか?
大きな戦争は、小さな事件ひとつをきっかけに始まる可能性は、
多いにあるのではないか。
こんな俺が心配したって、変えられるわけはないのだけれど、
世界の行く末が心配だ。
手塚治虫のアドルフに告ぐは、名作 |
頭でっかちな俺たち
パリの事件は11月13日に起きた。その直後、多くの人が、いろんなニュースをSNSでシェアした。
それらのニュースは、大まかに言って、
・ISばかりが悪いわけではない
・パリのために祈ります
・パリだけが祈られて、ベイルートやイスラムの無関係な人はもっと死んでいる
というようなものにわけられた。
俺は、大学時代がフランス文学科だったし、フランスにも2週間ほど行ったことがあるから、
パリ、フランスを心配する気持ちは、少なからず”流行感”ではないと思っていた。
でも、考えてみると、”流行感かどうか”を気にしている時点で、
それは、ただのナルシズムからの祈りなのかもしれない、とも思う。
けれど、何より嫌悪感を抱いた論調は、
「犠牲になっているのは、パリだけじゃないんだぞ!なぜパリにばかり祈る?!
愚か者ども!」
的なことを主張する人たちだ。
間違ったことは言っていないと思う。
でも、
・自分も同じように、平和な国ニッポンにいながら
・パリのことが起きるまで、毎日ほかの地域が攻撃されていることを周知するわけでもない
人たちが、何をドヤ顔で、
ほかにもこんなに死んでるんだぞ!子供だってたくさんな!
みたいなことを言えるのかが理解できないし、
すごく嫌悪感があった。
でも、これは他人のフリ見て、我がフリ直せだな、とも思った。
SNSをみると、こういう悲しいニュースも、馬鹿みたいな動画も、嬉しいニュースも、日常の報告も、すべて並列だ。同じ価値のものとして扱われる。
それに、
なんだか、頭のよい記事が増えている。
小難しいことを、わかりやすく教えてくれるような記事が。
だから、みんな、自分が頭いいと思い込みはじめているんじゃないかと思う。
俺も含め。
今この瞬間も人が死んでいる。
という事実を知っているくせに、
それよりも、自分の好奇心や笑いたい心を満たしてくれるニュースが、
たくさんあるから、
そんなこと、どうでもよくなってしまっている。
どうも頭でっかちになりすぎてしまった。
どうすれば、こんな不毛な議論をSNS上でなんかやっていないで、
現実を変えていく力が、原動力が、一致団結する力が、
日本人に生まれるのだろうか。
自分には、到底できないことかもしれないが、
少なからず、
平和な世界で、一人でも多くの人がハッピーに暮らせる世界を目指すことを、
忘れないようにしないとな、と思う。
考えすぎて、頭でっかちな宇宙人だぜ、俺らは |
the chocolate box四元壯
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