2015年11月25日水曜日

デジャブの世界

人生は、まるで再現VTRのようなものさ。
新しい時代を迎えているようで、結局、
過去の出来事を繰り返しているだけなんだ。
四元壯


世界の行く末

ちかごろ世界が物騒だ。
ずっと前から物騒だったのだろうけれど、
パリの事件があってから、際立って物騒になってきている。

今日もこんなニュースがあった。

トルコ軍がロシア軍機撃墜 シリア国境、乗員2人死亡か
http://www.asahi.com/articles/ASHCS5TCCHCSUHBI01Q.html?iref=com_alist_6_01

IS(イスラム国)を巡って、
トルコとロシアが少しごたついているようだ。


21世紀の戦争は、国単位ではなく、
個人単位での戦い、つまり”戦闘”が中心になる、
と言われている。

確かに、今回のパリの事件を含め、
多くの事件は、テロという形で起こされていて、
もはや、本当の的は誰なのかわからないけれど、
しかし、個人的にだれかが、不特定多数を殺そうとしている、
という構図はわかる。


ただ、中心となるのは個人単位の戦闘かもしれないが、
結局、例えば敵がISという個人で動く人たちだったとして、
それらを倒す過程で、今回のように、
国と国の大きな戦い、つまりは戦争がはじまる可能性も、
あるのではないかと思ってしまった。


今年は奇しくも、戦争が終わって70年だ。
70年で、人はどれだけ変われたのだろうか?
どれほど、忘れずにいられただろうか?
どれほど、伝えてこれただろうか?


大きな戦争は、小さな事件ひとつをきっかけに始まる可能性は、
多いにあるのではないか。


こんな俺が心配したって、変えられるわけはないのだけれど、
世界の行く末が心配だ。
手塚治虫のアドルフに告ぐは、名作


頭でっかちな俺たち

パリの事件は11月13日に起きた。
その直後、多くの人が、いろんなニュースをSNSでシェアした。


それらのニュースは、大まかに言って、
・ISばかりが悪いわけではない
・パリのために祈ります
・パリだけが祈られて、ベイルートやイスラムの無関係な人はもっと死んでいる
というようなものにわけられた。


俺は、大学時代がフランス文学科だったし、フランスにも2週間ほど行ったことがあるから、
パリ、フランスを心配する気持ちは、少なからず”流行感”ではないと思っていた。
でも、考えてみると、”流行感かどうか”を気にしている時点で、
それは、ただのナルシズムからの祈りなのかもしれない、とも思う。


けれど、何より嫌悪感を抱いた論調は、
「犠牲になっているのは、パリだけじゃないんだぞ!なぜパリにばかり祈る?!
愚か者ども!」
的なことを主張する人たちだ。


間違ったことは言っていないと思う。
でも、
・自分も同じように、平和な国ニッポンにいながら
・パリのことが起きるまで、毎日ほかの地域が攻撃されていることを周知するわけでもない
人たちが、何をドヤ顔で、
ほかにもこんなに死んでるんだぞ!子供だってたくさんな!

みたいなことを言えるのかが理解できないし、
すごく嫌悪感があった。


でも、これは他人のフリ見て、我がフリ直せだな、とも思った。


SNSをみると、こういう悲しいニュースも、馬鹿みたいな動画も、嬉しいニュースも、日常の報告も、すべて並列だ。同じ価値のものとして扱われる。
それに、
なんだか、頭のよい記事が増えている。
小難しいことを、わかりやすく教えてくれるような記事が。


だから、みんな、自分が頭いいと思い込みはじめているんじゃないかと思う。
俺も含め。


今この瞬間も人が死んでいる。


という事実を知っているくせに、
それよりも、自分の好奇心や笑いたい心を満たしてくれるニュースが、
たくさんあるから、
そんなこと、どうでもよくなってしまっている。


どうも頭でっかちになりすぎてしまった。


どうすれば、こんな不毛な議論をSNS上でなんかやっていないで、
現実を変えていく力が、原動力が、一致団結する力が、
日本人に生まれるのだろうか。


自分には、到底できないことかもしれないが、
少なからず、
平和な世界で、一人でも多くの人がハッピーに暮らせる世界を目指すことを、
忘れないようにしないとな、と思う。
考えすぎて、頭でっかちな宇宙人だぜ、俺らは



the chocolate box四元壯 









0 件のコメント:

コメントを投稿