2015年9月12日土曜日

作品の存在価値は、喜ぶ人がいるかどうか

人生は、まるでオークションのようなものさ。
他人が欲しがらないと、価値なんてわからないんだ。
四元壯



あまり書きたくないテーマ

あまり・・・
あまり書きたくないテーマだけど、
どうしても、ここ数日、色々思いめぐらすところがあるので、
書こうと思います。



神戸で事件を起こした、元少年Aが、
手記の出版やHPを開設しました。


僕は、基本的にはあまりワイドショーで取り上げられるようなニュースには、
なるべく関心を持たないようにしています。

なぜなら、
無関係の人が、自分のことを棚に上げて騒いでいるのも嫌だし、
大したことでなくても、取り上げる話題がない時は、無理にでもニュースにするからです。

だから、
一連のこの話題についても、
あまり関心を持たないようにしていたのですが、
日々、関心が高まっているのに気付きました。



そして、つい先日、
おそらく本人のものと思われるHPが開設され、
ネットで話題になっていたので、
僕もそのページを見ました。



実際に見てみて思うことは、
「いわゆる”普通の人”とは違う才能は、あるんだろう」
ということでした。
自分の読んだ本のレビューなどがあったのですが、
レビューとして、すごく良く出来ていると思いました。
なぜなら、
それを読んで、僕自身がそこに出ている作品に興味を持ったからです。


でも、
それよりも強く感じたことは、酷い”違和感”だった。

3行しかない略歴の一行を
「事件を起し、少年院に収容される」
と書いてあるのだ。
これを見た瞬間は、どうしても「許せない」という感情が芽生えずにはいられなかった。


自分自身は、全く彼と関係ないし、
事件とも、事件の関係者とも関係が一切ないので、
「許せない」という感情自体が、
筋違いだと思うのだが、
このことについては、また改めて書こうと思う。



彼の作品はなぜ受け入れ難いか?

そのHPは、
メインページ、ギャラリー、レビューで主に構成されていて、
ギャラリーには、
彼自身が描いたイラストや、写真の作品が掲載されていた。


僕は、
「なんだか、気持ち悪い・・・」
という感想だった。


なんていうか、
胸の中を、ナイフでもなく、フォークやスプーンでえぐられるような、
映画『冷たい熱帯魚』を見ている時のような、
嫌悪感で、気持ち悪くなってしまった。


ネット住人の意見は、あまり参考にしない方がいいとは思うのだが、
彼らにも、
この作品はとても不評な様子だ。


では、なぜ、彼の作品は受け入れ難いのか?


きっとそこには、
「それを見ることで喜ぶ人」がいないからだと思う。


正確には、0ではないと思う。
人にはそれぞれ好みがあり、彼のような作風がすごく合う人もいるだろう。


でも、
喜ぶ人の数や、喜びの質が圧倒的に弱い気がする。


それは、
この一連の事に関する噂の一つとして、
「遺族への許可を取らずに出版してしまった」
ということがあるのも、無関係ではないだろう。



アートは、芸術は、
正解はない。
絵を描くための資格もいらないし、
発信する為の権利も誰にだってある。


だけど、
やっぱり、
誰かが喜ぶことが、
アートの存在価値としては、正解なんじゃないだろうか。


音楽もそう。
映像作品もそう。
絵も、文章も、全て、
自分ひとりでも出来る。
わざわざ、
発信しなくたって、
自分ひとりで、自己満足することだって出来る。


でも、
それでも発信するのは、
誰かに認めてもらいたかったり、
誰かに喜んでもらいたかったりするからではないのだろうか?


だから、
発信するからには、
それを見ているだろう「誰か」のことを想い、理解をすることが必要なのではないか、
と思った。



ただ、こういうことも、
彼が、大して注目を浴びない殺人を犯した人だったら、
俺もこうは思わなかったかもしれない。


発信する者の責任。
そんなもの、あるのかな・・・・。

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