2015年7月26日日曜日

イルカ問題とナイトワンダーアクアリウム2015

人生は、泳ぎ続ける魚のようなものさ。
例え泳いでいる場所が、
狭い水槽だろうと、海だろうと、
誰かの価値観で生き場所を変えられる方が迷惑なんだ。
四元壯



イルカショーと捕鯨問題

新江ノ島水族館の「えのすい×チームラボ ナイトワンダーアクアリウム2015」に行ってきた。
アートとのコラボレーションで、
水族館に新しい”光”をもたらしていた。


参考:
「ナイトワンダーアクアリウム2015」新江ノ島水族館で開催!チームラボが贈る大水槽の幻想的な世界


光のアートで、魚の見え方が新しい





大盛況のイルカショー・・・しかし、近い将来は廃止に

そして、水族館と言えば、”イルカショー”。
30分前には、
全席が埋まってしまうほどの大盛況。


えのすいのイルカショーは、
内容自体は、それほどすごいものではないけれど、
それでも、
パフォーマンスをしてくれる人とイルカの、
ほっこりした感じは、
見ている人を楽しませていた。


しかし、このイルカショーも、
世界動物園水族館協会(WAZA)という世界の水族館のボスのようなところから、
日本のイルカ漁および、それで得たイルカを使ったショーの中止を言い渡してきた。

そして、さまざまな事情の果て、
結局、日本の水族館はそれを認めざるを得なくなってしまったのだ。

だから、日本の水族館は、
近い将来、イルカショーのない水族館になるのである。



跳ぶねぇ!
ショータイム終了後も、イルカを間近に見に行く人たち

「かわいそう」は誰目線で、どこからどこまでが正解なのか?

ちなみに、その協会いわく、
「イルカ漁が倫理に反する」
とのことで、日本は非難の対象にされているけれど、
「倫理に反する」というその倫理は一体誰が決めるのか?


「かわいそう」とか言うけれど、
それは一体誰目線で言っているのだろうか?
この世のありとあらゆるものの気持ちを、
この人たちは代弁できるのだろうか?


こういう人たちの主張するものは、
「イルカは、知性を持った動物だからかわいそう」
「イルカは、人に近い生き物だから、飼育するなんてかわいそう」
「イルカは、かわいいから、かわいそうだ」
こういうものがほとんどだ。


でも、ちょっと待てよ?


「知性を持っている」の知性ってなに?
「人に近い生き物」ってじゃあ、犬や猫は飼ってないのね?
「かわいそうだから」ってそれ、完全に主観じゃないですか!


と、誰にでも出来るツッコミを入れたくなる主張ばかりなのである。


「動物が、かわいそう」
というのは、もちろんわかる。
俺も、ペットショップのケースに入れられた犬を見ていると、
人間はまだまだ未熟だなぁ・・・
と思ったりする。



でも、結局「かわいそう」とか言う感情自体は、
主観以外の何者でもなくて、
その「かわいそう」を矛盾なく、全てのものに平等に感じるのなら、


じゃあ同じ動物でも、
牛、鳥、豚も、
食べられるのはかわいそうだよね?


生物というくくりでするなら、
貧しくて、学校にも行けない、食べるものもロクにない子どもも、
かわいそうだよね?


となってくると思う。
だから、そういう人に俺が思うのは、
「かわいそう」と思う気持ちは素晴らしいけれど、


張本人の気持ちも聞かずに、
自分たちの思っていることを、そのモノにも当てはめて、
勝手な行動をするんじゃねぇ!

ということだ。


だって、もしかしたら、
飼育係のお兄さんと、無理矢理別れさせられる方が、
イルカは”悲しい”かもしれない。
だから、
自分たちが素晴らしい考えや思想を持っている、と自負するのはかまわないから、
他のものも、そう思っているとは安易には思わないでくれ、
と思う。




それにしても、
クラゲが、キレイだった。
クラゲは、まったりしていた。
クラゲは、のびたり縮んだりしていた。


「海月」と書いて「クラゲ」と読む。
きっと暗い海を、優しく照らしているんだろう。


俺らザ・チョコレートボックスも、
人々の心を、優しく照らす音楽を、
奏でていきたいと思う。



ザ・チョコレートボックス
四元壯













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