2015年7月15日水曜日

大切なことは”インパクト”なんかない

人生は、低反発クッションのようなものさ。
重要なものほど、ゆっくりと確実に、自分の形を変えるんだ。
四元壯



悲しいニュースも嬉しいニュースも

俺の2015年現在、最も尊敬している人のひとりに、
「さとなお」こと佐藤尚之さんという方がいる。

この方は、元電通で、
電通にWeb広告の部署を立ち上げたり、
日本にコミュニケーションデザインと言われる手法を広めたりと、
すごくすごくて(なんだそりゃ)、
優秀で、
でも講演とか聞くと、すごく謙虚な、ステキ人(ビト)だ。

その人の本『明日のプランニング』というものがあるのだけれど、
その中で、

「現在(2005年以降)、情報は溢れすぎていて、
発信した情報の99.96%はスルーされて、届かない。
届いたとしても、日々SNSなどから来る情報に埋もれて、
ほとんどが、見た人の心に残らない。」

ということが書かれている。

これは、企業や広告業界の人に向けて基本的に書かれているもので、
この説明は、つまり、
「だから、企業がCMとかで面白かったり、感動系だったりのもの(=コンテンツ)を発信しても、お客さんには届かないし、届いても心を動かしませんよ」
ということになる。

今の時代、コンテンツというのは、
HIKAKINのようなyoutuberが発信するものから、
一般家庭の(アメリカでも、ブラジルでも、インドでも!!)飼い猫の動画、
そして、企業が何千、何億とかけて作るCMまでが、
全て”同列”の扱いとなのである。

そして、実は、
コンテンツ、というものに、
”ニュース”も含まれてしまうんだ。
情報量は、世界中の砂の数と同じだけある。C-3POも見つけられないよ。


ショックが大きくないと人は気づかない、動かない

そうして、楽しい、悲しい、玉石混合のコンテンツにニュースが含まれてしまった時、
人は、
どんなに衝撃的な事件やニュースでも、
さほど、ショックを受けずに、スルーをできてしまうようになる。

昔だったら、
連日一面に乗るような殺人事件さえも、
あっという間に風化してしまう。

自然災害だってそう。

twitterなどで、
テレビよりも早く、動画を見れたりするが、
結局、
その悲惨だったりする動画を見ても、
あくまでも”コンテンツ”のひとつとして見てしまうから、
人は、心に受けるショックが少なくなってしまう。
ショックが少ない分、すぐに忘れてしまう。

俺自身、
大学生の頃はまだガラケーで(2005年以降だったけど・・・)
情報、という意味ではそんなにたくさん入ってきていなかったから、
『命の食べ方』という
大量生産大量消費について問題提起したドキュメンタリー映画に、
すごくショックを受け、
自分のすべきことは一体なんだろうか?
とか考え、
農業に行ってみたりとかした。

でも、今は、やっぱり同じレベルの情報として見ると、
そういうものは、ショックが小さくなっているのかもしれない。

こないだ講演を見に行った「クジラ捕獲問題」についても、
結局数日たった今となっては、
どうでもいいことのように思えてくる。

ショックがないと、人は記憶に残らないし、
行動になんか移さないんだと思う。



でも、きっとそんな時代はすぐに変わる気が、ちょっとしている。
音楽で見ても、
最近はEDMだのなんだの、と、
すごくインパクト重視のものが増えているが、
結局、インパクトもずっと与えられていると慣れてしまうし、飽きてしまうんだよね。
そういう時、
結局たどりつくのは、
体温を感じる、俺らみたいなバンドの音だったりするんじゃないかな。
と思います。


では。













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<ライブ情報>
8月29日(土)お昼@下北沢daisy-bar

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